家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

12月20日 アルキメデス

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、アルキメデスの最期の言葉   ギリシャの数学者アルキメデスは発明家でもあり、ローマ人に対抗するための投石器などの兵器も考案していいます。彼が発明した反射鏡により、城壁からローマの軍船に火災を起こしたとも言われます。彼を有名にしたのはアルキメデスの原理です。水中の自分の体積と同じ容量の水があふれるのに気がついた彼は、それで王冠が純金で出来ているかどうかを証明することが出来ました。彼はシラクサの街がローマ兵に占領されたときに、砂の上に図形を書いていました。兵士が彼を見つけて近づいてきたが、彼は「お前たち、わしの図表に近寄るな」と声を発し兵士たちをはねのけました。その行為に腹を立てた兵士たちは彼を刺殺しました。それが最期の言葉となりました。彼の墓は数学者にふさわしく円筒に内接した球の形が刻まれました。 75歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 12月 20 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

12月13日 ニコロ・マキャベリ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ニコロ・マキャベリの最期の言葉 『君主論』を書いたイタリアの政治学者ニコロ・マキャベリ。計算高く権謀術数にたけた人をマキャベリストというが、それは彼の名前に由来します。彼は亡くなる数日前に、『私が行きたいのは地獄であって天国ではない。地獄に行けば歴代の教皇、国王などと一緒になることができるが、天国に行けば乞食とまじめな修道士しかいないからである』と言った夢を見たと伝えられています。58歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 12月 13 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

12月6日 ジャンヌ・ダルク

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ジャンヌ・ダルクの最期の言葉 フランスの聖女ジャンヌ・ダルクは13歳のときに天啓を受けて1428年、シャルル7世より軍隊を委ねられ、イギリス軍を破りました。宗教裁判で異端と宣告され、群集の見守る中で火刑となりました。しかし彼女の死後裁判はやり直され名誉が回復されました。最期の言葉は処刑地フランス北部ルーアンで述べられました。「ああルーアン、私がここで死ねばお前が苦しむのではないかと心配です。イエスよ。」19歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 12月 6 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

11月29日 ガンジー

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。 本日は、ガンジーの最期の言葉 非暴力革命によってインドを独立させた政治家・民族運動指導者マハトマ・ガンジー。マハトマとは〔偉大なる魂の意〕ガンジーに対する敬称です。彼は断食という方法で、自分の主張を訴えたのです。1948年1月30日の夕方、ガンジーは祈りの会に出かけた際、信徒のなかにいたヒンズー教徒が彼に向けて3発の弾丸を撃ちました。ガンジーは「へー・ラマ」(ああ、神よ)とうめき、その場に倒れまもなく亡くなりました。79歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 11月 29 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

11月22日 ジュリアス・シーザー

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ジュリアス・シーザーの最期の言葉 ローマの将軍シーザーはギリシャ・ローマ世界の統一という功績で歴史の流れを決定的に変えました。前59年に、執政官の座についた彼はガリアを平定しました。前44年3月15日、彼はローマ元老院の議場で暗殺されました。彼の最期の言葉「ブルータス、お前もか」は、シェークスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』のなかでも使われて、有名になっています。58歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 11月 22 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

11月15日 ショウ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ショウの最期の言葉 イギリスの戯曲家のショウが病床に付いたのは94歳で、看護婦に「お前さんは私の命をまるで、骨董品のように大切にしているが、私はもうだめだ。おしまいだよ。私は死ぬんだ」と言い残してなくなりました。94歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。  

more... »

月, 11月 15 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

11月8日 ユゴー

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ユゴーの最期の言葉 『レ・ミゼラブル』で有名なフランスの小説家ユゴーは1885年5月18日、彼は倒れ、ベッドの中で付添人に言いました。「君、死ぬのはつらいね」。「死んだりなさるものですか」。「いや死ぬね」。しばらくして「ここで夜と昼が戦っている」とつぶやきました。22日の朝から臨終の苦しみが始まり、午後1時37分に息を引き取りました。最期の言葉は「黒い光が見える」でした。このときすさまじい嵐がパリを襲い、雷が鳴りました。83歳でした。             明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 11月 8 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

11月1日 ドストエフスキー

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ドストエフスキーの最期の言葉 『罪と罰』で有名なロシアの小説家ドストエフスキーは1881年1月25日夜、執筆中にペンを落とし、それを拾うために本棚を動かしたとたん喀血しました。2月9日朝、彼は妻に、「僕はもう3時間ずっと考えていたんだが今日僕は死ぬよ」と言いました。11時頃目が覚めると、「君を残していくのがとても心配だ。これから生きていくのがどんなに苦しかろう」と言いました。夜8時30分に亡くなりました。葬儀には約3万人の人々が、教会堂まで付き従ったといわれます。60歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 11月 1 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

10月18日 ベートーベン

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ベートーベンの最期の言葉 ドイツの音楽家ベートーベンは1815年、45歳の時に聴覚を失いました。1826年秋頃から腹水がたまり始め、12月20日に最初の腹水穿刺(ふくすいせんし)が行われました。翌年の3月23日、医者は彼に死が近づいていることを告げました。彼の顔色は変わり、やがて周囲の友人に言いました。「友よ拍手を。喜劇は終わった」。そのあと彼はつぶやきました。「残念だ、まったく。遅すぎたよ」。3月26日の午後、ウィーンの街を雷雨が襲いました。彼は雷にむかって右手を上げ、やがて倒れました。死因はアルコール嗜好による肝硬変であるといわれます。57歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 10月 18 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

10月11日 カント

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、カントの最期の言葉 ドイツの哲学者のカントは一生独身で過ごし、毎日同じ町の同じ場所を、同時刻に散歩するという規則正しい生活を続けました。その彼も1803年12月には自分の名前も書けないほどになっていました。翌年2月11日の夜、彼は友人からスプーンで、葡萄酒を甘く割った飲み物を差し出され、かろうじて飲むことができました。このとき「これでいいのだ」といい、これが最期の言葉となりました。翌朝彼は息を引き取りました。80歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 10月 11 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

10月4日 ジョージ・ワシントン

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ジョージ・ワシントンの最期の言葉 アメリカ合衆国・初代大統領のジョージ・ワシントンは、晩年の12月12日、習慣にしていた乗馬での散策中にみぞれにあい、風邪をひきました。14日午後10時頃秘書に「葬式はていねいに頼む。しかし私が死んでも、3日間は墓に入れないでくれ。いいかね?」と言い残し、静かに息を引き取りました。67歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 10月 4 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

9月27日 梅原龍三郎

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、梅原龍三郎の最期の言葉 洋画家の梅原龍三郎は昭和60年12月25日、風邪でたんを詰まらせ呼吸困難に陥り、入院しました。入院前に医者に「アトリエに、描きかけの絵がある。見てきたまえ」と言いました。もちろんそんなものはありません。翌年1月14日から昏睡状態に陥り、肺炎を起こし、15日、「胸が痛みますか」という医者の問いに「心配ない、心配ない」と答えたのが最期の言葉となりました。98歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 9月 27 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

9月20日 ヨハン・セバスチャン・バッハ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ヨハン・セバスチャン・バッハの最期の言葉 バッハは有名なドイツの作曲家ですが、1750年の7月、その夏の熱さが彼を苦痛と衰弱におとしいれました。彼は死の床から起き上がり「クリストフ、紙を持っておいで、いま頭のなかに音楽が鳴っている。それを書き取っておくれ。それがこの世で私が作る最後の音楽だ」と言って、また眠り込みました。夜明けにバッハは妻を呼び「私に音楽を聞かせておくれ。もはやその時だから、お別れに死の歌を歌っておくれ」と頼みました。家族たちが讃美歌を歌うと、彼の顔は大変柔和になりました。そして、7月28日夜10時15分、天国へと旅立ちました。65歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 9月 20 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

9月13日 舟橋聖一

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、舟橋聖一の最期の言葉 舟橋聖一は風俗小説家。昭和50年の秋、文化功労賞を受けることになっていましたが、弟たちがお祝いの 品を届けなかったことから癇癪を起こし「弟妹たち合わせて100万円もってこい」と怒号しました。そのあと彼は心臓喘息の発作を起こしてしまい、翌年1月13日、再び発作を起こし意識を失いました。午後0時58分急性心筋梗塞によりこの世をさりました。72歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 9月 13 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

9月6日 徳川夢声

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、徳川夢声(とくがわ むせい)の最期の言葉 徳川夢声は昭和の話術家、弁士、漫談家、作家、俳優など多彩な顔を持ち、ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物です。昭和46年7月22日、腎盂炎で入院。7月末、彼は妻に爪を切ってもらうと、その手をじっと眺めました。妻は病人が自分の手を見詰めるようになると、まもなく死ぬという話を思い出して「疲れますよ」と言いその手を下ろさせました。3日後の8月1日午後0時20分、妻に「おい、いい夫婦だったなあ」と言ってなくなりました。77歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 9月 6 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

8月30日 大宅壮一

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、大宅壮一(おおやそういち)の最期の言葉です。 大宅壮一はジャーナリストであり、政治・社会時評家。 昭和45年10月26日、山中湖の山荘で息苦しさを 訴え、急遽帰京して入院。 11月18日、昏睡状態から覚めた彼は「ああ、腹が減った。何か食うものをよこせ」と怒鳴りました。 11月22日午前3時4分、一度心臓が停止しましたが息をふきかえし、3時43分に最期をむかえました。毒舌で有名であった彼も、死ぬ直前に妻に「おい、だっこ」と言ったといいます。70歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 8月 30 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

8月23日 エノケン

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。           本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、エノケンの最期の言葉 エノケンは昭和の喜劇俳優で、本名榎本健一。昭和44(1969)年12月全身に黄疸症状が現れ、翌年の元旦に入院。病名は肝硬変でした。3日に「ドラが鳴るんだよ。船が来たよ、ほらほら」と言い、妻 のよしえが驚いて「お父さん、船なんか一人で乗っちゃだめですよ」と言うと「うるせいや、早く乗れ」と答えたといいます。5日、よしえが「病院を出たら温泉にでも行きましょうか」と言うと「ありがとう」と言いました。これが最期の言葉です。66歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 8月 23 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

8月16日 高見順

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、高見順の最期の言葉 高見順は小説家で、『如何なる星のもとに』、詩集『死の淵より』が有名。昭和38(1963)年10月3日、食道ガンの診断を受けます。 第1回の手術は10月9日。2回目の手術は翌年の7月。『死の淵より』は8月に書かれました。昭和40(1965)年8月、医者から「もうエンジンのないグライダーが風に舞っているようなものです」と宣告されました。8月16日、彼が設立のために奔走した「近代文学館」の起工式のメッセージを口述しました。「はじめも終りもありがとうございました、としかいえません。一世一代の大風呂敷を広げっ放しで病に倒れましたが、どうか末長く頼みます」。翌17日午後5時32分、導師の「喝」の声とともに亡くなりました。 58歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 8月 16 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

8月9日 ワーグナー

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、ワーグナーの最期の言葉  ワーグナーはドイツの作曲家です。彼は亡くなる前年の1882年からベニスのホテルに滞在していました。2月13日午後、机の前で苦しんでいるのを召使いが見つけました。  妻のコジマ が駈けつけ、薬を飲ませたが効きめはなかった。召使が衣服を脱がせかかると、ワーグナーは「私の時計を」と言って、それを最期に妻の腕のなかでこと切れました。70歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 8月 9 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

8月2日 島崎藤村

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、島崎藤村の最期の言葉 島崎藤村は詩人、小説家で『夜明け前』が有名です。昭和18(1943)年8月21日、『中央公論』に連載の「東方の門」の第3回分を書き上げました。その直後に脳溢血を起こし、22日午前零時35分死去しました。彼の最期の言葉は「涼しい風が吹いてくる」でした。71歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 8月 2 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

7月26日月曜日 小津安二郎

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、小津安二郎の最期の言葉 小津安二郎は昭和を代表する映画監督で主な作品は『晩春』『東京物語』など。昭和38(1963)年4月11日、がんセンターに入院。手術中は、「ナンマイダ、ナンマイダ」と唱えていたそうです。一度退院した彼は、10月12日再入院。「何も悪いことをした覚えはないのに、どうしてこんな病気にかかったんだろう」と言いました。 最期の言葉は「右足がどっかに行っちゃったのかね。ベッドの下に落っこちているんじゃないかね」でした。還暦の誕生日12月12日に死亡。60歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 7月 26 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

7月19日月曜日 北原白秋

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、北原白秋の最期の言葉 北原白秋は詩人、歌人で、昭和12(1937)年、糖尿病と腎臓病による眼底出血で原稿が読めなくなりました。昭和16年の末、呼吸困難になり、翌年2月入院。4月より自宅療養をすることになりました。11月2日の午後4時頃、白秋は「なに、負けるものか、負けないぞ」とうめきました。長男が窓を開けると「ああよみがえった。隆太郎、今日は何日か。11月2日か。新生だ、新生だ。この日をお前達よく覚えておおき。私の輝かしい記念日だ。新しい出発だ。窓をもう少しお開け。ああ、素晴らしい」。しかし最期の発作で、「一度安心したせいか、もう打ち勝つ気力もない。駄目だ、駄目だよ」と喘ぐようにつぶやきました。 57歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 7月 19 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

7月12日月曜日 南方熊楠

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、南方熊楠の最期の言葉  南方熊楠は生物学者で民俗学者でもあります。昭和16(1941)年8月、南紀を襲った暴風の最中、裸で菌類のかたづけをしたことから発熱。12月28日、病状が重くなり、家族が医者を呼ぼうとするのを断り、 「天井に美しいおうちの花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。縁の下に白い小鳥が死んでるから、朝になったら葬ってやってくれ」 と不可解なことをつぶやきました。夜になって、 「私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお前達も休んでくれ」 と言いました。そして翌午前6時30分死亡。74歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 7月 12 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

7月5日月曜日 岸田劉生

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、岸田劉生(きしだりゅうせい)の最期の言葉 岸田劉生は大正時代の洋画家。娘をモデルとした「麗子像」が有名です。昭和4年12月14日夜、劉生は徳山の料亭で銀塀風に舞子を描きました。そのあと筆を持ったまま脇息にもたれ「気持ちが悪い」と言いました。 発病後2日して、医師から慢性腎臓炎による視力障害と診断されました。18日、彼は「暗い」「目が見えない」と叫び、以後しきりに「バカヤロ-」を繰り返しました。12月20日。吐血して死亡。38歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 7月 5 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

6月21日月曜日 浅野長矩

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、浅野長矩(あさの ながのり)の最期の言葉     浅野長矩は播州赤穂藩5万3千石の藩主。元禄14年3月11日、勅使饗応を幕府より仰せ付けられ、吉良義央に教示を受けたましたが、不親切にされて3月14日午前10時、吉良義央(当時60歳)を江戸城本丸松の廊下で切りつけてしまいました。 これにより奥州一関城主田村邸にお預けとなり、同日午後6時、出合の間の庭にて切腹。長矩の遺体には蒲団がかけられ、泉岳寺に葬送されました。 辞世の歌は、  「風さそう花よりも猶我はまた   春の名残りをいかにとかせん」 35歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 6月 21 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

6月14日月曜日 徳川家康

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、徳川家康の辞世の句です。 徳川家康はいわずとしれた徳川初代将軍です。今川義元・織田信長と結び武田氏は滅ぼし、ついで豊臣秀吉と和し、天正18年(1590)関八州に封ぜられて江戸城に入りました。秀吉の没後伏見城で執政、慶長5年(1600)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開きました。元和2年1月腹痛をおぼえ、容体が悪化して4月17日に死亡。棺は久能山に納められました。 辞世は、  「嬉しやと二度さめて一眠り うき世の夢は暁の空」 75歳でした。     明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 6月 14 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

6月7日月曜日 豊臣秀吉

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、豊臣秀吉の辞世の句。  豊臣秀吉の父は織田家の足軽。織田信長に仕え、天正1年(1573)近江長浜城主となります。「本能寺の変」後、光秀を討ち、天正18年に天下統一を成し遂げました。文禄・慶長の役(1592~98)を起こし朝鮮に出兵。慶長3年8月、「虚損の症」(ガン)で伏見城にて死亡。  辞世の歌として知られる、「露と落ち露と消えにし我身かな 難波の事も夢のまた夢」は、天正15年、秀吉51歳の時のもの。  享年63歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 6月 7 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

5月31日月曜日 明智光秀

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。    本日は、明智光秀の最期の言葉です。 明智光秀は戦国武将で、初め斉藤氏に仕え、1566年信長に仕えました。元亀2年(1571)若狭平定の軍功により、近江坂本城主となりました。 天正10年6月、丹波亀山城から上洛し6月2日、本能寺で信長を討ちましたが、6月13日、山崎の合戦で秀吉に大敗。小栗栖で殺されました。 辞世の言葉、「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば一元に帰す」 55歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 5月 31 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

5月24日月曜日 上杉謙信

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、上杉謙信の最期の言葉 上杉謙信は越後の戦国大名で、武田信玄と信濃の覇権をめぐって幾度となく戦いました。 天正6年3月、毛利氏と連合して織田信長と対決しようとしましたが、出陣の6日前に脳卒中で死亡。 死の予感があったのか、謙信は2月に京都から画工を招いて自画像を描かせ、それに辞世の句を書き残しています。「四十九年一酔の夢、一期の栄華一盃の酒」『名将言行録』にある辞世の歌は、「極楽も地獄もさきは有明の 月ぞ心にかかる雲なき」 48歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 5月 24 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

5月17日月曜日 安藤広重

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、安藤広重の最期の言葉 安藤広重は江戸末期の浮世絵師で、風景版画の連作に名をなし、また花鳥画にも新境地を開きました。作は「東海道五十三次」「江戸名所百景」など。 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどうひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいとも言われています。 辞世は、  「東路に筆を残して旅の空       西のみくにの名所を見む」 61歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 5月 17 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

5月10日月曜日 伴信友

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、伴信友(ばん のぶとも)の最期の言葉  伴信友は江戸時代の国学者で、平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに、「天保の国学の四大人」と呼ばれました。小浜藩に仕えましたが、49歳の時に病気になり隠居。以後もっぱら学問に努めました。古典の考証を得意とし、神代文字の存在を否定しました。辞世の歌は2首、 「いまわには何をかいわむ世の常に         いいし言葉ぞ我が心なる」 「ついに逝くときはきにけり     残りいてなげかん人ぞかなしかりける」 73歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 5月 10 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

5月3日月曜日 平田篤胤

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、平田篤胤(ひらたあつたね)の最期の言葉です。 平田篤胤は江戸時代後期の国学者・神道家です。 寛政7年(1795)脱藩して秋田より江戸に出て学業に 努め、のちに松山藩士平田篤隠の養子となりました。 1803年、本居春庭に入門して国学に志します。 晩年はその尊皇思想が災いして、幕府から江戸退去 命令を受け、死の2年前に秋田に戻りました。 辞世の歌は、「思う事の一つも神に勤めをへず   今日や(けふや)罷る(まかる)かあたらこの世を」  67歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 5月 3 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

4月26日月曜日 貝原益軒

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、貝原益軒の最期の言葉 貝原益軒(かいばらえきけん)は黒田藩の儒者です。有名な『養生訓』を著し、それを地で行いました。長崎で医学を修め、明暦1年(1655)江戸に出て、翌年より黒田藩の藩医となります。35歳で福岡に帰り、それから50年の間に247巻の著作を残しました。 辞世は、  「越し方は一夜ばかりの心地して 八十路あまりの夢を見しかな」 84歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 4月 26 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

4月19日月曜日 滝沢馬琴

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、滝沢馬琴の最期の言葉   滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」の作者です。この作品の初編は48歳の時に発表され、完成まで28年が費やされました。その間、68歳で右目を、74歳に左目も失明しました。そこで息子の嫁に文字を教え口述して原稿を書き取らせました。     辞世の歌は、 「世の中の厄をのがれてもとのまま 帰るは雨と土の人形」     82歳でした。                   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。      

more... »

月, 4月 19 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

4月12日月曜日 野口英世

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、野口英世の最期の言葉 野口英世は梅毒の病原体であるスピロヘータの純粋培養に成功したほか、数々の病原体の研究に従事しました。1924年アフリカ西南部で黄熱病が発生したため、1927年秋、彼は調査のため現地のアクラに向かいました。翌年の元旦より黄熱病の症状を訴えるようになります。5月10日頃から再び黄熱病の症状を訴え、13日見舞いに来た医師に、一度黄熱病にかかって免疫になったのになぜ再発したのか「どうも僕には分からない」と語りました。20日には意識不明となり、21日正午頃、息を引きとりました。52歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 4月 12 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

4月5日月曜日 夏目漱石

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、夏目漱石の最期の言葉 夏目漱石は明治末期から大正初めの小説家で代表作は国語の教科書にも載っている『坊っちやん』や『こころ』などがあります。 漱石は晩年、糖尿病と神経痛と皮膚病とノイローゼと、持病の胃潰瘍に悩まされていました。大正5年11月21日連載小説の『明暗』188回を書き上げ、翌22日女中に書斎に倒れているところを発見されました。 12月9日、漱石はひどく苦しみ始め、自分の胸をあけて「早くここに水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから」というようなことを言い、看護婦が水を含んで吹きかけると「ありがとう」といい、そのあと意識を失ってしまいました。49歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 4月 5 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

3月22日月曜日 勝海舟

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、勝海舟の最期の言葉 勝海舟は幕末・維新期に幕臣として、 また新政府高官として活躍しました。 明治32年1月19日午後5時頃、風呂から上がると坐り込んで 「胸が苦しいからブランデーをもって来い」と家人に命じました。 それをグラスに入れ「今度はどうもいけないかもしれんぞ」 といって一口飲んだとたん、倒れて意識を失いました。 脳溢血でした。 彼が息をひきとったのは2日後の午後5時。 最後の言葉は「コレデオシマイ」でした。 76歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 3月 22 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

3月15日月曜日 井原西鶴

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、井原西鶴の最期の言葉  井原西鶴は大坂の戯作者です。 俳諧を学び談林派の第一人者になるが、41歳の時、 浮世草紙の作者となりもてはやされる。 作品に『好色一代男』、『日本永代蔵』などがある。 元禄6年8月大坂で死亡。52歳でした。 その年の冬、 門人の北条団水が西鶴の遺稿『西鶴置土産』を刊行し、 その巻頭に西鶴の辞世の句と7句の追善発句を載せている。   辞世の句 「辞世 人間五十年の究まり、それさえ我にはあまりたるに ましてや 浮世の月見過しにけり末二年」 追善発句  月に尽きぬ世がたりや二万三千句 如貞  念仏きく常さえ秋はあわれ也   幸方  秋の日の道の記作れ死出の旅   万海  世の露や筆の命の置所      信徳  残いたか見はつる月を筆の隈   言水   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 3月 15 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

3月8日月曜日 千 利休 

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、千 利休の最期の言葉です。 千利休は茶道の完成者。千家流茶道の開祖です。16歳のとき京都で茶会を開き、茶の湯の世界に登場しました。 天正13年(1585)秀吉の関白就任にあたり、禁中小御所で茶会が開かれたとき、天皇に茶を献じて利休居士の号を贈られました。 天正18年、秀吉の怒りを受け、翌年2月28日切腹を命じられました。辞世の偈は、「人世七十 力圍希咄(りきいっきとつ)   吾この宝剣(わがこのほうけん)   祖仏と共に殺す(そぶつともにころす)   提ぐる我が得具足の一太刀 (ひっさぐるわがえぐそくのひとたち)   今この時ぞ天になげうつ」 (いまこのときぞてんになげうつ)   69歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 3月 8 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

3月1日月曜日 樋口一葉

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、樋口一葉の最期の言葉 樋口一葉(1872~1896)は5千円札でもおなじみの 明治中期の小説家です。生活に苦しみながらも 「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」といった秀作を発表し 文壇から絶賛され、わずか1年半でこれらの作品を世に 送りだしました。 明治29年11月3日、教師の馬場が一葉を見舞い 「冬休みにまた上京しますから、そのときまた参りましょう」 と言いました、すると一葉は苦しそうな声で 「その時分には、私は何になっていましょう、石にでも なっていましょうか」と切れ切れに言いました。 それから20日後、彼女は亡くなりました。 わずか24歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 3月 1 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

2月22日 坂本龍馬

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、坂本龍馬の最期の言葉です。 土佐藩の志士。 慶応3年11月15日の夜、竜馬は京都の醤油屋、近江屋の3階で 中岡慎太郎と話し合っていた。 8時頃3人の男が訪れ、竜馬の従者に切りつけ、そのあと竜馬と 中岡の両名を切りました。 刺客が帰った後、竜馬は息を吹き返し、残念、残念といいながら、 隣室まで這出しましたが「おれは脳をやられたからもう駄目だ」と 微かな声で言ってこと切れました。 32歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 2月 22 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

2月15日月曜日 高杉晋作

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、高杉晋作の最期の言葉です。 高杉晋作は幕末の長州藩士。 慶応2(1866)年小倉城攻撃を指揮していましたが、以前からの肺患が悪化しました。 翌慶応3年4月病床で、「面白きこともなき世を面白く」と書きました。 そのあとを受けて望東尼(もとに)が「すみなすものは心なりけり」とまとめると 「面白いのう」と笑って目を閉じました。 享年28歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 2月 15 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

2月8日月曜日 二宮尊徳

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は、二宮尊徳の最期の言葉です。 二宮尊徳、通称・金次郎は、 薪を背負いながら本を読んで歩く姿が学校の銅像などで有名ですが、 江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、 「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家です。 安政3(西暦1856)年10月20日、今市の居宅で多くの村人に囲まれ、 「葬るに分を越ゆるなかれ、墓や碑を立てるなかれ、ただ土を盛り、 そのわきに松か杉1本を植えれば足る」といって息を引き取りました。 享年69歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 2月 8 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

2月1日月曜日 葛飾北斎

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。    本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。    本日は、葛飾北斎の最期の言葉  葛飾北斎は江戸時代後期の浮世絵師。生涯に93回引越しをし、 酒も煙草ものまず、ただひたすら描き続けた生涯でした。 嘉永2(1849)年4月 風邪をひき、枕頭には娘や弟子たちが 集まりました。 ここで彼は「ひと魂でゆく気散じや夏の原」と辞世をよみ、 「せめてあと5年の命があったら、本当の絵師になられるのだが」 とつぶやいて息を引き取りました。享年89歳でした。    明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。  

more... »

月, 2月 1 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

1月25日月曜日 良寛

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。    本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は良寛の最期の言葉。 江戸後期の曹洞宗(そうとうしゅう)の僧です。 諸国行脚あんぎゃの後、郷里越後(えちご)に住みました。 文政13年(西暦1830年)7月、激しい下痢を患います。 症状は夏から秋にかけ一進一退しました。 そのときの反古(ほご)のなかに 「ぬばたまの、夜はすがらに、くそまり明かし、あからひく、昼はかわやに、走りあえなく」 と残しています。 大晦日、介抱していた貞心尼(ていしんに)は、 「生き死にの境離れて住む身にも、通らぬ別れのあるぞかなしき」と 口ずさむと、良寛は「裏を見せ表を見せて散るもみじ」とつぶやきました。 明けて1月6日夕、眠るが如くこの世を去りました。享年73歳でした。    明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 1月 25 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

1月18日月曜日 大石内蔵助

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は大石内蔵助の最期の言葉。 忠臣蔵でおなじみの赤穂義士の頭領です。播磨赤穂(はりまあこう)藩家老、のち赤穂義士の頭領となりました。 討入り後、翌元禄16年(暦1703年)2月4日、切腹を命じられました。 切腹の座に呼び出されたとき、背後から義士の一人が「追っつけおあとから」と声を掛けると、「お先に」と笑って静かに出ていったといいます。享年44歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 1月 18 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

1月11日月曜日 松尾芭蕉

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。    本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は松尾芭蕉の最期の言葉。 誰もが名前を知っている江戸時代の俳人。『奥の細道』などの作品を残し、俳句を芸術にまで高めました。 元禄7年(西暦1694年)秋、大阪に来ていた彼は一日に20回にも及ぶ下痢に悩まされました。赤痢であったといわれます。 9月9日「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という発句を弟子に書き取らせました。10 日に「一生旅で過ごし、かねては草を敷き土を枕にして死ぬ自分と覚悟していたのに、こんな立派なしとねの上で、大勢の人々に付き添われて死ぬとは冥加みょうがに尽きる」と涙を浮かべて語りました。11日には、下痢するものがなくなるくらいに衰弱しました。 障子に蝿がとまっているのを弟子が取ろうとしているのを見て「何事も上手下手はあるものだな」といい、 それから眠りに入り、午後4時頃息を引き取りました。享年50歳でした。   明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

more... »

月, 1月 11 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments

1月4日月曜日 一休宋純

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、 しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「最期の言葉」。 著名人が人生の最期に遺した言葉をご紹介いたします。   本日は一休 宗純(そうじゅん)の最期の言葉。 テレビアニメでもご存知の一休さんですが、室町時代の臨済宗の僧です。 当時の禅宗界をしんらつに風刺して、人間的な禅風を目指しました。 文明13年、西暦1481年11月、寒さや高熱がおそう「ぎやく(マラリア)」にかかり、 11月21日朝に没しました。死ぬにあたって彼は「死にとうない」といって、 座ったまま眠るように死んだといいます。享年87歳でした。     明日のテーマは、やすらぎQ&Aです。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。  

more... »

月, 1月 4 2010 » 有名人の「最期の言葉」 » No Comments