家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

12月22日 お血脈

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は、死と落語より免罪符のお話「お血脈(けちみゃく)」をご紹介します。   お血脈(免罪符のお話)   日本も時代が移り変わって、三つの法でやっとのこと世が治まるようになった。三つの法とは、仏法に鉄砲に女房。ところが日本に色々な事件が起きて不安な時代に、本多善光という人が善光寺を建てた。彼があるとき難波ケ池のふちを歩いていると、池のなかに捨てられていた仏様が手招きしている。そしてこの仏様が「信州へ行きたい」とおっしゃった。そこで彼は昼夜の別なくこれを背負って信州まで運び、これが善光寺の縁起となる。   この善光寺で、お血脈の御印をいただくと、誰でも極楽へ行けるというので、大変なにぎわい。おかげで地獄に行く者もいない。地獄の入り口で待つ閻魔大王は会議を開き、対応策を求めた。  「恐れながら申し上げます。承れば善光寺でお血脈の御印をいただくと、罪が残らず消滅して誰でも極楽へ行けるとか。そこでお血脈の御印を盗みだしたら、極楽へ行く奴も地獄に来るだろうと思います。」  そこで閻魔大王、石川五右衛門を善光寺につかわして、お血脈の御印を盗みだしてくるように命じた。洒落た泥棒があるもので、昼間はお参りをするように見せて入り込み、夜に入り、忍術をもって奥殿に忍び込み、お血脈の御印を見つけだした。これを持ったらサッサと地獄に行けばよいのに、「これさえあれば大願成就、かたじけない」 と頂いて、そのまま極楽へ行ってしまった。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 12月 22 2010 » 日本のしきたり » No Comments

12月15日 なまはげ

 「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は「なまはげ」をご紹介します。 秋田県の西部、男鹿半島の寒風山から小雪をまじえた北風が吹いてきます。  「なまはげ」とよばれる赤鬼と青鬼が、大晦日に山道を下って一軒の農家の中に入っていきました。鬼どもは藁でできた簔を着ています。赤鬼は大きな御幣を持ち、青鬼は手に持った手桶を包丁でたたきながら、 「うおーっ、うおーっ」 うなり声をあげ、わらじばきのまま座敷の中へあがってきました。   鬼に捕まったらさあ大変、子供たちは大急ぎでお母さんの背中に隠れます。子供たちが息をひそめていると、2匹の鬼は、 泣ぐ子はえーだねが(いないか)」「なもみはげたかよ、小豆煮えたかよー」 とどなります。「なもみ」というのは、いろりやコタツにあたってばかりいるとできる火だこのことです。娘さんもこわがって風呂場に逃げ込んでしまいました。   この鬼たちは、新しい年を迎えるためにやってきた年神の姿なのです。この家の主人が出てきて鬼に向かい、 「私の家の子はみんなよく親の手助けをします。勉強もします。宿題も忘れることはありません」 と、とりなして年越の夜のご馳走を鬼たちに振る舞います。鬼は大きな盃にお神酒もいただいて、すっかりご機嫌になり次の家に向かいます。 このように大晦日から正月にかけて年神の鬼を迎える行事は各地にあります。   石川県門前町では「あまめはぎ」とよばれる行事が1月6日に、岩手県三陸町では1月15日に「すねか」とよばれる行事が、また、東シナ海に浮かぶ鹿児島県甑島では、「年どん」とよばれる奇妙な仮面をつけた年神が大晦日の夜にやってきます。 いずれも新しい年を迎えるにあたって、新鮮で強烈な印象を子供や家族に与える行事です。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 12月 15 2010 » 日本のしきたり » No Comments

12月8日 煤払い

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は「煤払い」をご紹介します。 煤払いは「煤掃き」「煤納め」などとも言われ、新年を迎える事始めが起こりで、古くから社寺、民間で行われてきた行事です。現代では単に大掃除といい、新年を迎えるためにきれいにするということで、煤払いという名称も使われなくなっています。   『歳時記』には、陽成天皇(868~949)の時代に始められたとあり、また嘉禎2(1236)年頃より12月の吉日を選び、また雨でない日を選んで行うようになりました。吉日を選ぶため、毎年異なっていたということになります。その後江戸時代には12月13日に行われるようになりました。   中国の『玉燭宝典』に、「歳の暮れに壊れた器物などを整理する。これを送窮という」とあります。また『夢梁録』には「12月のいわゆる除夜の日には、公や民間を問わず、門を掃除し庭を清める」とあり、中国では年の暮れに行ったようです。   寺院では毎年12月20日に煤払いをするところがあり、本願寺の煤払いの模様が『実悟記』に記されています。   「煤払いは12月20日、いにしえよりかわらずに御入候」とあります。寺院では仏壇や仏像、さまざまな仏具、天蓋などが、大きな堂内に納められていますので、大変な作業となります。   大田南畝(1749~1823)の『半日閑話』に「煤払い納め規式」が記録されています。公家はもちろん、将軍家においても、何事も儀礼化し、儀礼によって世を治めた時代では、煤払いについても儀式化されていました。   行事としては、13日の朝、老中の年男が長袴をつけて登場し、案内されます。煤払いに使う竹は毎年代官所で用意されました。この竹は雌竹と雄竹とをそろえ、まっすぐにして水引きで結び合わせ、根松、薮こうじ、長のしをつけたものです。これを使って寝間、御座の間の両所をきれいに払うのですが、これは下男たちが麻の裃をつけて行うのです。これが終わるとお目見えとなり、吸い物とお酒を頂いて退出します。   京都の儒者の南郭は、毎年12月13日には、家での煤払いをさけ、東海寺少林院に行き詩会を催していました。これを名付けて掃塵会(そうじんかい)といいました。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 12月 8 2010 » 日本のしきたり » No Comments

12月1日 歳末

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「歳末」です。 今年もあとわずかになりました。12月の声を聞くと、不思議とあわただしい気分になります。それは、12月が一年を締めくくる月であるとともに、新年を迎える準備の月でもあるからではないでしょうか。   お正月は1月1日より始まると思われがちですが、昔は正月準備を始めるときから、お正月と考えていたようです。12月8日は「ことはじめ」とか「正月始め」の日といわれ、この日をもって正月の準備にとりかかりました。各地で「年の市」や「羽子板市」が開かれるようになります。江戸時代には、13日が煤払いの日として定められ、宮中や幕府、町中で、一斉に煤払いが行われました。この行事は、一年間の厄やけがれを祓い落とし、歳神を迎えるために掃き清める宗教的な行事。お神酒や供物を、当日使った煤竹に献じたり神棚に供えたりしました。また、この日は、松を山から伐りだす「松迎え」の日とされ、町内の鳶(とび)職が門松を積んだ車を曳いてきて、家ごとに勢いよく立てていく風景が見られました。   今日では年末の贈答儀礼となったお歳暮は、先祖の霊を迎えて祀(まつ)る年越しの魂祭(たままつり)に必要な供えものを親元に持参することに由来しています。お世話になった方に感謝のしるしとして正月用の魚・餅・米などを贈り合う「歳暮の礼、歳暮祝い」の習慣となり、略して歳暮と呼ばれるようになったもの。また、忘年会は、古代中国で先祖を祀った後、お供え物を食べる共食儀礼の一つとして行われていた「別歳(べっさい)」「分歳(ぶんさい)」の行事。日本では年忘れとして父母・兄弟をもてなし、一年の無事を祝い、厄を落とすために行われるようになりました。   大晦日は一年で最後の日です。それまでに注連縄(しめなわ)はり、餅つき、おせち料理などの正月準備をほとんどすませ、夜は年越しそばを食べます。そばは「細く長く」といわれるように長寿延命を願う食べもの。江戸時代の金銀細工師が仕事場に飛び散っている金粉銀粉をそば団子にくっつけて集めたことから「そばで金銀をかき集める」という縁起に由来するともいわれます。年越しそばはあわただしい年の瀬にはぴったりの手軽な食べもの。すがすがしい新年を迎えるためにも、縁起がよく、一年の締めくくりとして欠かせない食べ物となっています。そして12時には除夜の鐘が家々に響きわたります。煩悩を取り払い、新しい年がよい年でありますようにと、念じながら。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 12月 1 2010 » 日本のしきたり » No Comments

11月24日 無常は碁の生き死に

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は、死と落語より「無常は碁の生き死に」をご紹介します。   無常は碁の生き死に   ある所に碁の好きな友二人がおりまして、昼夜を打ち続けているうちに、両人ともやつれ果て、とうとう冥土に旅立ってしまった。さっそく閻魔王が現われて、「お前ら裟婆(しゃば)でろくに仕事もせず一日中碁に熱中した罪、許し難い。地獄行きに価する」というと一人が答えて、「私は碁によって生死の無情を感じました」「それは何と感じた」「電光朝露石火(※極めてはかないもののたとえ)と感じました」という。さてもう一人は、「私は世の中を『手見せ禁』(碁用語)と感じました」といえば、閻魔王、「この期に及んでまだ碁のことを申すつもりか!これ罪人の極みである。八大地獄の石積めにせよ!」といい、もう一人には、「お前は生死の無常を感じたのならば極楽へつかわす」というと、その男は「願わくは私も地獄にまいりたい」と申し出た。「それはどうしたわけだ」と閻魔王は聞き返す。するとその男「沙婆から勝負がつきませんので、もう一番打ちたい」   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 11月 24 2010 » 日本のしきたり » No Comments

11月17日 唐津おくんち

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は「唐津おくんち」をご紹介します。 北九州では秋祭りの日を「くんち」とよんでいるところがたくさんあります。「長崎くんち」、「おくんち佐世保祭り」、「博多おくんち」など。そして長崎とともに有名なのが「唐津おくんち」です。   「くんち」はもとは中国の菊の節句(陰暦9月9日)の習わしが日本に伝わり、秋の収穫感謝の祭りとなったものです。「9日」、すなわち「くんち」にあたる9、19、29の日を祭りとしたのが、その名のいわれです。   唐津おくんちは11月3日を中心に2日から4日までおこなわれます。   11月2日の夕方、唐津神社の境内に14台の曳山が続々と集まってきます。赤い獅子頭の曳山の高さは5m以上もあります。黒い目玉の大きな赤鯛、武田信玄の兜の形をした曳山、亀の背中に乗った浦島太郎など、これらの曳山はいずれも一閑張りという技法でできています。はじめに木組みで型をこしらえます。その上に丈夫な和紙を20枚ほど張ります。うるしを塗り固めて仕上げるので、固くて堅牢です。 翌3日早朝に曳山は「エイヤー、エイヤー」と若者の掛け声で市内へ元気良く飛び出していきます。若者たちは駆け足で曳山を引き回します。   午後になると旅所の西の浜に曳山が勢ぞろいします。砂地にめり込む曳山に力も入ります。観客も声を上げて応援します。 秋の日が西に傾く頃、曳山がそれぞれの町内に戻ってきます。それからが唐津くんちの祭りの楽しさです。どこの家も食卓に大皿を並べ、曳山の若者たちを迎えます。若者たちだけではありません。くんち見物に来た他の町の人たちも大歓迎で、座敷に引っぱり上げられます。   玄界灘の幸を目の前にして酒盛りがはじまります。収穫を祝う秋祭りにふさわしく、唐津の町中の人たちが生きる喜びを感じる日なのです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 11月 17 2010 » 日本のしきたり » No Comments

11月10日 霊場巡り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は「霊場巡り」をご紹介します。 四国八十八カ所巡りなど、全国各地に多数の霊場巡り   日本の各地に、霊場巡り・札所巡りといわれる寺社の巡礼コースがあります。名高いものを幾つかあげると、「四国八十八カ所巡り」、「西国三十三札所」、「板東三十三観音霊場」などがあり、この八十八カ所や三十三観音霊場をモデルに、全国各地にさまざまな巡拝コースが設けられています。四国八十八カ所は、弘法大師の遺跡にちなむ寺院を、お遍路姿で巡拝し、四国を一周します。西国三十三札所巡りは、和歌山の那智山青願渡寺を一番札所に、大阪・京都・近江など関西の観音仏を安置する名刹を巡り、岐阜の谷汲山華厳寺を三十三番札所として終わります。板東三十三観音霊場は、西国三十三札所の後に成立したといわれます。観音霊場はこのほかに、秩父三十四観音など多数の巡拝コースがあり、全国百観音霊場巡りと総称されるほど盛んです。   霊場巡りはお釈迦様の遺跡巡拝がルーツとも言われます。 日本で札所巡りが成立した年代は定かではありませんが、熊野三社を巡る旅は平安末期にはたいそう盛んとなり、「蟻の熊野詣で」といわれるほど熱烈だったようです。西国三十三観音も室町時代には成立し、江戸時代に入ると四国八十八カ所とともに庶民の巡礼コースとして人気を集めました。ルーツをたどりますと、霊場巡りの原形をインドに求める説があります。お釈迦様が亡くなられた後、誕生の地・悟りを得られた地・亡くなられた地に仏塔が建てられ、お釈迦様を追慕する信者が訪ね歩いたのが札所巡りの原形だとする説です。しかし、他の宗教にも聖地巡礼は多数ありますから、札所巡りは仏教独自の信仰というより、人間の心の自然な動きと解釈しておくのが妥当なところでしょう。   盛んになる霊場巡り 背景には現代の縮図が見られます。 いま、四国巡りや観音霊場巡りが静かなブームとなっています。その背景には、伝統を見失い混迷する現代の死生観、少子高齢化による老後の不安感、都会から離れた霊場巡りによる自然への回帰願望などがあるようです。昔から、巡礼の旅は、何かを得る旅ではなく、心にひそむ我執を見極め、それを捨て去る旅とされてきました。暖衣飽食の現代、巡礼の旅に人々の心が動かされるのは、現代社会から少し離れた場所に身を置き、来し方行く末を静かに内省してみたいからなのでしょうか。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 11月 10 2010 » 日本のしきたり » No Comments

11月3日 七五三

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「七五三」です。 七五三というと、すぐに思い出される千歳飴。どこまで舐めても、同じ図柄が出てくることに感動し、一日中、飴を放さなかった思い出があります。まだ食べるものが少なかった世代にとっては、忘れることのできない思い出となっていることでしょう。十年くらい前までは、氏神の行事として毎年盛大に行われていました。しかし、近年では、十一月前半の土曜日や日曜日に大きな神社をお参りし、その帰りに記念写真を撮って七五三の儀式を終えてしまう家庭が多くなっています。かつての千歳飴はケーキに代わり、赤飯はハンバーグに代わりました。でも、子どもの成長を願う親の心はいつの時代も同じ。毎年、十一月初旬から中旬の土曜、日曜日には、七五三参りのほほえましい家族に出会うことが多くあります。   七五三が行われるようになったのは、江戸時代のこと。一説によると、三代将軍・徳川家光が四男・徳松(のちの綱吉)の健康がすぐれなかったため、五歳のときの慶安三年に十一月十五日に、無事と今後の健康を予祝したことがきっかけといわれます。しかし、  その原形は室町時代の三歳の髪置き、五歳の袴着、七歳の帯解の儀式に見ることができます。三歳の髪置きは、それまで剃っていた髪を長く伸ばし始める儀式。これ以後、子どもの髪型は頭頂部を丸く残して結ぶ唐子まげになります。袴着の式は五歳になった子どもが初めて袴をはく儀式です。碁盤の上に吉方を向いて立ち、左足から袴をはき、小袖を着て扇を持つことがしきたりとなっていました。碁盤は宮中で吉方を占う道具であり、武家では碁盤を城取りに見立てて、子どもの出世を願ったのです。そのころ男女とも袴をはいていましたが、女子の服装の変化と共に男子だけの儀式に変わりました。そして七歳の帯解は、女子の祝いです。付け紐をとりはずし、初めて帯を結びます。特に七歳の行事は、子どもとしての生活の終わりを告げ、社会の一員となる大切な節目とされてきました。   このような三つの行事が、この年齢に行われたのは、中国では七五三といった奇数年が縁起がよいとされていたため。また十一月十五日は二十八宿の鬼宿日にあたり、祝い事には最高の日とされているため、この日が選ばれたと言われます。   幼児から子どもへの通過儀礼としての七五三。地方によって祝い方もさまざまですが、子どもの成長を祝い、将来の幸せを祈る大切な日としてこれからも長く続けられていくことでしょう。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 11月 3 2010 » 日本のしきたり » No Comments

10月20日 死ぬなら今

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は、死と落語より「死ぬなら今」をご紹介します。   死ぬなら今   あるけちな金持が息子を呼んで、「私は一代でこの身代をこしらえたが、ずいぶん人様に迷惑をかけたしひどいこともした。多分地獄に行くことになるので、私が死んだら頭陀袋に小判を三百両入れてもらいたい。地獄の沙汰も金次第というから、お金の威光で極楽へ行けるかもしれない」といい、息子の返事を聞いてそのまま死んでしまった。親の遺言通り三百両入れようとすると、親戚の者が、「天下のご通用金を土葬にしてしまうのはもったいない」といい、芝居に使う小道具を扱う店に行って小判を三百両分買ってきて、これを頭陀袋に入れた。それとも知らない且那さまはあの世に行くと、まず閻魔の庁に呼び出された。罪業の数々が鏡に映る。当然、地獄に行かされそうになる。そこで小判を百両だけ閻魔の懐に入れた。閻魔はそれで極楽にまわそうとしたが、周囲の牛頭馬頭や冥官たちがおさまらないので、そちらにも小判をまきちらし、うまく極楽に行ってしまった。地獄の閻魔大王以下みな大金をつかんだので遊びに行ってしまう。そのうちにこの小判が極楽にまわってきて、偽物であることがわかる。そこで閻魔大王以下地獄の一同は、残らず牢屋に入れられてしまった。地獄には誰もいないので…死ぬなら今。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 10月 20 2010 » 日本のしきたり » No Comments

10月13日 佐久地方の十日夜

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は長野県の「佐久地方の十日夜」をご紹介します。 田の刈り入れがすっかり終わった旧暦の10月10日頃、長野県の佐久地方では収穫感謝の祭り「十日夜」がおこなわれます。「とおかんや、とおかんや、とおかんやのわらでっぽう・・・」 暮れなずむ農村に子供たちの元気な叫び声が聞こえてきます。わら鉄砲で大地をたたいて、田畑を荒らすモグラやネズミを追い出すのです。   南佐久郡小海町。山の端に秋の日が駆け足で沈んだ6時頃、子供たちは手にわら鉄砲を持って諏訪神社の境内に集まってきます。昼間、祖父や父から教えられて作ったものです。 新ワラを束ねて長さ60?ほどの棒状にして細縄で巻き上げたもので、芯には干した茗荷や芋がら(サトイモの茎)を入れてあります。これは地面をたたく音をより良くするためです。入れ加減で音が違うといいます。「十日夜のわら鉄砲、朝切りそばに昼だんご、夕飯食ってぶったたけー」 大声で叫び、思い切り地面をバンバンとたたきます。土煙が巻き上がり、わらくずが飛び散ります。何度も何度も繰り返します。それから子供たちは地区の家々をまわり、同じように地面をたたいていきます。1時間もたつと力まかせにたたいたわら鉄砲はもうぼろぼろになります。そして力を出し切った子供たちは満足して我が家へと帰っていきます。以前はこの夜に、農家ではもう一つの行事がおこなわれていました。「かかし上げ」でし。かかしは昼夜田に立ちつづけて、害鳥の見張りをしてくれました。この夜は田から庭先へと運び、顔や衣服を整えて新米の餅や野菜を供えてねぎらってあげます。   かかしへの供え物は、かかしが箸として使うという2本の大根、1斗升の上に大きな丸餅1個、小さな丸餅2個で、これは12カ月を意味しています。そして農具を洗って添えます。自分たちとともにがんばってきた労働のねぎらいで、農家の人々が農具をいかに大切にしているかがよくわかる行事です。お年寄りたちは懐かしげに当時の様子を語り、その行事を復活させたいと願っています。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 10月 13 2010 » 日本のしきたり » No Comments

10月6日 灘祭

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は「灘祭」をご紹介します。 兵庫県姫路市の松原八幡宮の秋祭りに集う若者たちは、もてるエネルギーのすべてをこの日に出し切るかのように熱気にあふれています。松原八幡宮の秋祭り「灘祭」は毎年10月14、15日に、7つの地区から御輿と屋台が集まってきます。祭りに参加する大勢の若者が、全身で「生きる」喜びを感じいちばん輝く一瞬です。   先に来た御輿は勢いよくぶつかり合います。御輿の屋根の軒と軒がふれあうので、「軒掛祭り」とも呼ばれています。この元気な祭りの様子を見て、八幡宮の神は喜ぶのです。   つぎに、屋台が祭場にあらわれます。屋台には4人の若者が乗り、大太鼓をかこんで打ち鳴らしています。 屋台を担ぐ大勢の若者が「エーイヤッサ、ヨーイヤサ」と掛け声をかけて、両腕を差し上げると、屋台は高く浮かび上がります。その見事なこと、秋の日の輝きがひときわ増したように見えます。   それから屋台は北山と南山と呼ばれる2つの丘の間の練り場へと入っていきます。この2つの丘には見物人が朝から大勢つめかけています。どのグループもご馳走を重箱に詰め込んで、楽しげに待っています。 練り場には屋台を担いだ若者たちが次々とやってきて、その動きは上下左右へと激しさを増します。2つの丘からは活気ある祭りの見せ場に惜しみない拍手がわきます。こうして興奮の秋の一日を、神も人も過ごすのです。   やがて屋台はまた大勢の人に担がれて、北山の頂上にある旅所へと登っていきます。 秋の陽が傾きだしたころ、快晴に恵まれた秋祭りの一日の終わりがやってきます。一年に一度のハレの日、幸福なひとときと呼ぶにふさわしい一日です。祭りは生活を共にしている大勢の仲間と力を合わせて初めてできることです。世の中が平和で豊かな収穫の季節に恵まれてこそ、秋祭りは盛んになるのです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 10月 6 2010 » 日本のしきたり » No Comments

9月29日 紅葉狩り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「紅葉狩り」です。 紅葉は古くから日本の秋の象徴でした。日本で最初の歌集である「万葉集」の第一巻に、名高い額田王が春と秋を比較した歌を詠んでいます。それは天皇が「春山万花之艶」と「秋山千葉之歌」とを比較させたときの歌で、これに答えて額田王は、「秋山の木の葉を見ては黄葉をば  とりてぞしのぶ、青木をば  置きてぞなげく」と歌で答えました。秋は紅葉があるゆえに、花の春にも勝ると詠んだのです。   このように春の桜と同様、古くから紅葉は日本人に愛されてきました。歌や絵画などのモチーフとしてはもちろんですが、例えば着物や扇の柄としてもひんぱんに登場しています。花見のように紅葉見とは言わず、あえて「紅葉狩り」と呼ぶ点も、桜の観賞とは別のニュアンスを含んでいるような気がします。   「狩る」という言い方には、紅葉の山を巡り歩くという意味があって、どちらかというとスポーツに近い感覚のもののようです。山川、あるいは湖上に船を浮かべて岸の紅葉を楽しむ遊び山の船を「紅葉船」といいますが、これなどいかにも、日本的な情緒にあふれた季節の楽しみ方といっていいでしょう。   紅葉の美しさは日本が世界に誇れる宝といえるでしょう。日本ならではの明確な四季の気候の変化が、紅葉に都合がいい上に、美しく紅葉する植物が多く、しかも針葉樹や広葉樹が混生していて色とりどりの紅葉の中に緑も混ざり、色の配合が美しいからです。   紅葉する植物の代表的なものはカエデ類で、カエデ、ヤマモミジ、イタヤカエデなどの紅葉は見事です。そのほか、ウルシ科に属するツタウルシ、ハゼノキ、ヌルデなどや、ショクナゲ科のミツバツツジやドウダンツツジなども美しく紅葉する植物です。   秋になって気温や地温が下がると紅葉するのは、葉のつけ根のところに離層というコルク層ができて、葉の炭素同化作用でできたデンプンや炭水化物が葉から茎の方へ転流しにくくなり、そのため葉の中の炭水化物が増加して、これが細胞液にとけて紅葉の色素である花青素が増えるからです。   紅葉は桜の開花とは逆に、北の地方や山の高い所ほど早く始まります。多くの地方では朝の気温が九度以下に下がると紅葉が始まると言われています。紅葉の時期は年によって違います。また、紅葉の美しさも年によって違います。台風の襲来を受けず、九月下旬から十月にかけて、天気の良い年は美しい紅葉を楽しむことができます。   ちなみに、全国に紅葉の名所がいろいろありますが、栃木県の日光、長野県の黒部ダム、京都府の高雄、大分県の耶馬渓などはとくにおすすめです。   古来、山歩きそのものに「みそぎ」の意味があると考えられてきましたが、つまりは、山歩きで身体を動かし、木々の精気に触れることがそれだ

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水, 9月 29 2010 » 日本のしきたり » No Comments

9月22日 ドゥルガ・プージャ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは世界の習慣をご紹介します。インドの「ドゥルガ・プージャ」です。 カルカッタの町は9月末から10月はじめ頃に、モンスーン(季節風)が終わります。それは豪雨の季節の終わりでもあります。その頃、町のあちこちの広場に祭壇ができ、女神ドゥルガの像を祀りだします。これは五穀豊穣を祈るヒンズー教の祭りで、「女神ドゥルガの祭り(ドゥルガ・プージャ)」と呼ばれます。この女神はヒマラヤの山の神の娘でパールバティともいわれ、シバ神のおきさきで航海の神、戦いの神です。   ドゥルガの像には10本の腕があります。その姿は叙事詩マハーバーラタにある有名な物語「小牛の魔神」を倒す場面をあらわしています。ドゥルガの右手側には幸運と美の女神ラクシュミー(日本では吉祥天)と、象の頭をもつガネーシャ(日本では大聖歓喜自在天)がならんでいます。左手側はサライスバティという河の女神(日本では弁財天)と、スカンダという武力と勝利の神(日本では韋駄天)です。   祭りの10日目の午後から大勢の人々が出てきてそれぞれの地区のドゥルガの山車を曳きまわし、すべての山車はガンジス川支流のフーグリー川へと運ばれます。   夕やみ迫る頃、山車は水に浮かべられます。泥で作られた像は川面をただよいながら徐々に沈んでゆきます。腰から肩へと水中に溶け込んで、姿を消してゆきます。それはやがてベンガル湾へ、そしてインド洋へと流れ、蒸発して大陸を越えてヒマラヤの上空に至ります。そこで清らかな雪となり霊峰に積もると考えられています。女神ドゥルガは再びヒマラヤの娘パールバティに戻るのです。   インドではヒマラヤの雪の解け始める4月頃、ガンガウルの祭りがおこなわれます。ガンはシバの神、ガウルはシバ神のおきさきになる前のパールバティのことで、2神の婚礼を祝う祭りです。そこにはインド人の永遠に生きる神々への信仰がうかがわれます。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 9月 22 2010 » 日本のしきたり » No Comments

9月15日 お彼岸

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は「お彼岸」をご紹介します。 彼岸桜は春の彼岸のころに淡紅色の花をつけますが、秋の彼岸の花は何といっても彼岸花でしょう。一名マンジュシャゲとも言い、まっすぐに伸びた茎の上の紅色の花は大変に印象的です。7日間ある彼岸の初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸明け」と呼んでいますが、「お中日」にあたる春分、秋分の日は、ともに昼夜の長さが同じになり、真東から太陽が昇り、真西に沈みます。   太陽が真西に沈むことから、阿弥陀如来の座す西方浄土信仰と結びつき、西方の極楽浄土の「彼岸」に到る仏事を行ったのが彼岸会(ひがんえ)の始まりです。彼岸会は聖徳太子の発案といわれています。大阪の四天王寺の西門の額に、太子の筆で「当極楽土東門中心」と書かれていますが、彼岸の中日には天王寺の西門で落日を拝すため、多くの人が参拝に訪れた歴史があります。   この中日には祖先をうやまい、死者をしのび、自らも彼岸に到達できるように精進することがすすめられています。彼岸の行事は日本独特のものといわれていますが、 彼岸という言葉は、インドの古語である「パーラミーター」(波羅蜜多)の漢訳で「到彼岸」の略といわれます。昔からこの彼岸会には『金剛般若波羅蜜多経』が読まれました。   『古今集』に   今ここに入日を見ても思い知れ     弥陀の御国の夕暮れの空   とあるように、太陽が真西に沈む中日がもっとも浄土に接近する時と考えられたのでしょう。   彼岸の期間が、春分・秋分を中日とした7日間を指すようになったのは江戸時代後期からで、明治時代に入って太陽暦にかわった後も受け継がれています。   明治初期に春分の日が「春季皇霊祭」、秋分の日が「秋季皇霊祭」という国家の祭日になりました。その後、昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が制定され、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」とされています。   秋分の日に知多半島では、虫供養を行います。虫供養とは、農作業で駆除した田畑の虫を念仏供養することで、小屋と道場が設置されます。講の日には、道場に人々が集い、導師の先導で大数珠を操りながら百万遍が唱和されます。   この祝日には、多 くの人がお墓参りをします。普段ごぶさたしがちの方は、ぜひお寺やお墓にお参りしたいものです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 9月 15 2010 » 日本のしきたり » No Comments

9月8日 薩摩半島のお月見

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は「薩摩半島のお月見」をご紹介します。   鹿児島県の薩摩半島では、月見の行事をていねいにおこなっています。早生の稲刈りはすでに終わり、畑ではサツマ芋(鹿児島ではカラ芋という)の収穫時です。十五夜の夕方に、農家では庭先に石臼をすえ、その上にサト芋、カラ芋、山栗などを供えます。野原からとってきたススキの穂を花びんに活けて、これも臼の上に飾ります。   ススキは月を迎えるしるしです。家族そろって昇ってくる満月を拝み、収穫の感謝の気持ちをあらわします。知覧町では小学校の運動場で、10人ほどの男の子たちが稲ワラで作ったとんがり帽子ををかぶり、半裸体に腰みのを巻いて出てきます。   円陣を作り、昇ってきた満月を仰ぎ見ながら、「サアー、ヨイヤン、ソラヨイ、ソラヨイ」と叫び、それから大地に向かって相撲のしこのように片足ずつあげて大地を力いっぱいに踏みます。そのとき片手は初めに月を指差し、ついで大地を指し示します。月に向かって注意を集め、それから大地の恵みを月に伝える仕草です。「ソラヨイ、ソラヨイ」と、くりかえし叫ぶのは、「おかげさまで収穫があり、それはとても良いことです」という意味なのです。   薩摩半島では十五夜の晩に綱引きをするところが多い。枕崎市、指宿市、喜入町などが有名です。子どもたちが山や野原に行き、カヤを集めてきます。また、家々をめぐってワラをもらい、青年たちといっしょに綱引きの綱を作ります。綱ができると満月に供えて拝みます。綱引きは子ども組と青年組に分かれて引き合います。青年組が勝ちそうになると、見物人が子ども組に加勢して両者が力いっぱい引き合います。勝負よりも満月の夜の儀礼としての綱引きで、子どもも青年も全力を出し合い、そこに生きている喜びを月に見てもらうのです。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 9月 8 2010 » 日本のしきたり » No Comments

9月1日 遠野祭り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「遠野祭り」です。 岩手県のJR釜石線にある遠野市は伝説と秋祭りのふる里です。   日本の民俗学の父、柳田国男は明治41(1908)年に遠野を訪れました。その旅が縁になって、山の中で会った天狗の話、冬の夜にあらわれる雪女、旧家に住みついている座敷わらしなど、遠野に伝わる民話を書きました。それが有名な『遠野物語』という本です。   遠野に伝えられているのは伝説や昔話ばかりではありません。遠野八幡宮で9月14日~15日に行われる秋祭りのにぎやかなこと。   神輿と一緒に神社の境内からあふれ出てきた行列は、駅前通りの歩行者天国を通ってゆきます。「田植え踊り」に「屋台囃子」、それに市内や近郷近在から参加する「しし踊り」の郷土芸能団です。   遠野市の「しし踊り」は他の町村にある獅子(ライオン)舞いとは違い、鹿の面を使い、その風体も胸から腹にかけて独特の大きな布の幕を張っていることです。   遠野の「しし踊り」は、笛太鼓の囃子に合わせてこの幕を激しく左右に振って踊ります。「しし踊り」の中には岩手県の民俗文化財に指定されているものもあります。   秋祭りの日にあらわれる「しし踊り」の群は、もともとは稲の豊作を祝って農家を訪れる郷土芸能でした。   実はこの情景を柳田国男は遠野地方を訪れたときに見ているのです。「秋風の吹く夕方、しし踊りを眺めていると旅にでた淋しさで、胸がいっぱいになった」と、遠野物語の中に書いています。   その時柳田国男が泊まった高善旅館は、今は郷土資料館としてそっくり残っています。遠野の町の人たちは、伝説も祭りも建物も、古いものは宝物として大切に保存しています。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 9月 1 2010 » 日本のしきたり » No Comments

8月25日 幼き一休の引導

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は、死と落語より「幼き一休の引導」をご紹介します。   一休が10歳のころ、住職が田舎に行って留守の間に、近くに住む旦那があい果てました。そこで人々は引導を頼むために、寺院に遺体を運んできました。一休は住職が留守であることを告げましたが、それでは、代わりに弟子たちにお願いしたいと言います。   あいにく弟子たちも留守をしていたので、一休は心得ましたと言って、さもおごそかに準備を済ませ、死人の入った棺に向かいました。   一休はまず死人を指差し、次に自分を指差し、最後に両手を広げて「喝」と言いました。この間に住職が帰ってきて、一休の次第を物かげから見ていました。終わってからどのような引導をしたのかと一休にたずねると、一休はそれに答えて、 「死人に指を指したのは、汝が死んだことを申し。自分に指差したのは、この小僧に申し。両手を広げたのは、大きな恥をかいたということを申したのです」。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 8月 25 2010 » 日本のしきたり » No Comments

8月18日 徳山の盆踊り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は静岡県の「徳山の盆踊り」をご紹介します。   静岡県榛原郡の徳山は、川根茶で有名な中川根村の中にある集落です。8月15日の夜には、盆踊りがおこなわれます。夕方になると祭りの当番の人々は頭屋に集まります。集まった人々は、行列を作って浅間神社へと参ります。その行列に鹿の張り子の仮面をかぶった少年たちがつきます。大きな仮面の雄鹿が1頭、小さな仮面の雌鹿が2頭、それに数頭の仔鹿たちが続きます。この鹿はいずれも60?ほどの細い紅白の棒を両手に持ち、地面を突きながら歩いてきます。そのうちに「ソーリャ、ウンハイ」という掛け声とともにいきなり、野生の鹿のように10数mを全力で走り出します。   神社の境内には、3間(5.4m)四方の木組みの舞台がつくられています。舞台の柱には榊の枝を添え、周囲にしめ縄が張りめぐらされています。舞台に菅笠をかぶり、そろいの衣装を着た少女たちが上がります。笛太鼓の囃子に合わせて静かに歌い、小歌踊りを始めます。小歌踊りとは歌の文句を表現するような具体的な振り付けではなく、リズムに合わせた動きをくり返しながら品よく踊ります。踊りの間に「ヒーヤイ」とかけ声が入るところから,ヒーヤイ踊りとも呼ばれています。   実はこの踊りが歌舞伎踊りのもとになっているというので、昭和62年末に国の重要無形文化財に指定されました。しかし、どうしてそんな古風な踊りがこの山里に伝わっているのか、定かでありません。   少女たちが小歌踊りをしている間、さっきまで路上で暴れていた鹿たちが、舞台のまわりをはねながらめぐっています。人々が言うには、「鹿は踊っている少女たちを警護しているのですよ。昔から徳山の村人は、鹿を大切にしてきましたからね」。徳山の人々には、今でも動物と共存しようとする気持ちが生きています。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 8月 18 2010 » 日本のしきたり » No Comments

8月11日 お盆

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「お盆」です。  お盆と言えば、帰省ラッシュ。この期間は、祖先の霊を祭るために故郷へ帰る人々の流れが集中します。同じように霊界でも一斉に故郷に帰るのですから、迎える方も、祖霊が迷わないようにと迎え火を焚いてお迎えするのですね。   盂蘭盆(うらぼん)の行事は606年、推古天皇(554~628)の時に行われました。その後次第に盛んになり、平安時代には紙や蓮の葉でお盆を包んで供えるという風習が一般化しました。当時は「盂蘭盆」の「盆」の字を、盆という器物の意味に誤解して、供物を盛る器を重視したようです。「盂蘭盆」とはもともと「逆さにつるされた」という非常な苦しみを表す言葉で、そうした苦しみにある死者を救いたいという願いからきています。経典によれば、仏陀の弟子の目連が、生前の罰で苦しんでいる亡き母のために、7月15日に僧侶を招いて供養したのです。これが日本では民間の行事として、祖先の霊を家に迎えて供物を捧げ、僧侶は棚経(たなぎょう)と称して、家々を回ってお経をあげるようになったのです。   江戸時代には、江戸や大阪では7月12日に盆市(草市)が設けられました。この日に、飾り物や盆踊りの用品が売られました。そのなかには、麻幹(おがら)、真菰(まこも)・瓜・茄子で作った牛馬・灯籠・太鼓・提灯・行灯(あんどん)などがあります。13日には盆棚を飾り、灯籠をつるし、精霊(しょうりょう)を迎えました。15日の夕方には送り火をたき、16日早朝には、飾り物や供物を集めて小舟に乗せ川岸から流しました。   この魂を送る行事は、夏の風物詩として、各地で美しい情景を作っています。「天の橋立」で有名な宮津市の灯籠流しは、350年の伝統をもっています。13日に迎えた霊を、16日に再び浄土へ送り帰すために、造花や提灯で飾った「精霊船」と「追掛灯籠」が流されます。宮津湾に一万有余の灯籠が流されると、色とりどりの打ち上げ花火が上げられ、浴衣姿の若者の間から歓声があがります。こうして花火大会が終わると、観覧席は盆踊り会場に変わり、二人三人と踊りの輪に入っていきます。   送り火のなかでも、8月16日の晩に京都の如意ヶ岳(にょいがたけ)の西峰で行われる「大文字焼き」は特に有名なものです。「花洛名所図絵」によりますと、「大」の文字の大きさは、第1画が38間、第2画が85間、第3画が60間で、メートルに換算しますと、第1画が約69mとその巨大さが分かりますね。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 8月 11 2010 » 日本のしきたり » No Comments

8月4日 厳島神社の管弦祭

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。 本日のテーマは「厳島神社の管弦祭」です。     「管弦楽」とはオーケストラの日本語訳です。管は笛、弦はヴァイオリン、それに打楽器の太鼓が加わります。そのオーケストラを、12世紀に瀬戸内海の船の上ではじめた人がいます。当時安芸の国(今の広島県)の領主であった平清盛です。彼は貴族たちが京の都の川や池でおこなっている優雅な船遊びを、地元の宮島で厳島神社の祭りのイベントにしたのです。   現在でも厳島神社の管弦祭は毎年旧暦6月17日の夕方からおこなわれます。その日の瀬戸内海の潮の具合が、船を出す祭りにちょうどよいのです。   夕方の干潮の時に、若者たちが厳島神社の祭神をのせた鳳輦(古風な神輿)をかつぎ、干潟を進み、大鳥居の沖に停泊している管弦船に移します。管弦船は阿賀(今の呉市)の船頭たちの漕ぎ船に曳かれて潮の満ちはじめた海へと出ます。   瀬戸内海には夕闇が迫り、船にはちょうちん、ぼんぼりの灯がともり、かがり火がゆらめいて波に映ります。その幻想的な夜景のなかで、管弦船からは優雅な調べが流れてきます。管楽器は笙、ひちりき、竜笛です。打楽器は太鼓、鉦、かっ鼓など。弦楽器は箏や倭琴、それにシルク・ロードから伝わってきた琵琶もあります。   管弦船は雅楽を演奏しながら対岸の地御前神社をめぐります。その頃には海上に月が昇ってきて、波が銀色に輝いて見えます。   深夜に管弦船は厳島神社まで戻ってきます。満ち潮が廻廊のすぐそばまで打ち寄せています。平清盛は、この回廊を満ち潮になった時の床の高さを計算して設計したといわれています。   管弦船が本殿の奥深くまで入り、客社に着くと、催馬楽(平安朝時代の貴族間の流行歌)の「伊勢の海」が朗々と歌われだし、それに雅楽の伴奏がつきます。   厳島神社のお祭りに来た人たちは、かがり火に映える海上の大鳥居を眺め、平安朝時代の音楽に聴き入り、華やかで、やがて悲しい平家一族の歴史絵巻の境地へとさそわれていきます。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 8月 4 2010 » 日本のしきたり » No Comments

7月28日水曜日 浅草のほおずき市

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「浅草のほおずき市」です。   7月10日の東京浅草の観音様は朝から大変な人出です。この日は「四万六千日」といわれ、観音様と縁を結ぶ日の結縁日になっています。この日にお参りするだけで4万6千日分、つまり127年間もお参りしたことになり、それだけの功徳が授かるといいます。雷よけのお札も出ます。境内には前日の9日から「ほおずき市」が立ちます。よしず張りの店400軒が並び、竹籠に入れたほおずきの鉢物が所狭しと吊るされ並べられています。ほとんどは大きな赤い実のついた「丹波ほおずき」だが、数珠つなぎに小さな実がついている「ようらくほおずき」や枝に沢山の青い実がついた「千成ほおずき」も見かけます。昔なつかしい「海ほおずき」もあります。鉢を持ちかえれない人のために枝物や袋に入った実だけのものもあります。   夏の日が傾くころには浴衣がけの女性たちも姿を見せ、夕べの風にガラス細工の江戸風鈴の涼しげな音色が聞こえてきます。忍草に風鈴をつけた吊り忍も水を打たれて青々と生きかえります。「忍ぶ恋しや、別れはつらいね」と粋な風鈴売りの端唄に客も足を止めます。浅草のほおずき市は江戸時代の末期ごろから始まったといわれ、200年の歴史があります。東京では他に港区芝の愛宕神社にも6月23、24日にほおずき市が立ちます。そのころは「夏越しの祓え」で、人々は「茅の輪」をくぐりほおずきを買っていきます。   浅草のほおずき市とともに江戸時代の情緒の味わえる市に、台東区下谷の真源寺の「朝顔市」があります。この寺は人々には「入谷の鬼子母神」の名で知られ7月6日から8日に立ちます。朝顔市は朝の5時ころから始まり、午前9時ころには終わってしまいます。   昔はほおずきや朝顔は薬用植物で漢方薬として使われていました。とくにこの季節のものは効力が大きいとされています。その役目は今日では薄くなりましたが、季節を楽しむ観賞用として毎年訪れ、買い求める人々が多くいらっしゃいます。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 7月 28 2010 » 日本のしきたり » No Comments

7月21日水曜日 竜退治

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は世界の信仰、ドイツの「竜退治」をご紹介します。   ヨーロッパの村や町には怪物やペストなどの災厄に襲われたとき、救ってくれる聖人や騎士が現れるという信仰があります。その信仰は教会の壁画にも描かれていますし、祭りとしてもおこなわれています。そしてチェコとの国境に近い、ドイツのフルト・イム・バルト町の竜退治の祭りはその信仰が起源となっています。毎年8月15日に、道路の両側に桟敷ができ、近郷近在から大ぜいの見物人が集まってきます。この祭りは町中の人が演劇をおこなうことで、祭りを盛り上げます。   物語は、まず町の人が泣きわめきながら道に現れるところからはじまります。その背後から強大な竜が現れ、口から火の息を吐いて迫ってきます。竜は年に一度、この季節に町を襲いにくるのです。一方お城の中では領主が、もし竜を退治をする勇士が現れたら、姫を嫁につかわそうというおふれを出します。   そこへ一人旅の騎士が現れ、名乗り出ると領主は非常に喜んで竜退治のための宝剣を勇士に与えます。やがて、竜がこの町に現れてくると、騎士は剣を抜いて竜に飛びかかります。馬は驚いてひるみ、前に進みません。その馬をはげまし、竜に立ち向かい、宝剣を口の中へと突き刺します。竜は血しぶきを吐いて倒れました。騎士が竜を退治してお城に戻ってくると、領主は大喜びで姫を与えます。祭場は騎士と姫の婚礼を喜び、祝宴の場となりました。このような竜退治の祭りはベルギーのモンスの町でもおこなわれます。キリスト教国では騎士はセント・ジョージという守護人として扱われているところも多くあります。   日本の出雲地方にある「スサノオノミコトの八岐大蛇」の神話にもよく似ていますが、ヨーロッパの神話学者は、ギリシア神話の「ペルセウスとアンドロメダ物語」が原型で、もっと昔はトルコやイランあたりからギリシアに伝わったとのべています。出雲神話とのつながりはまだよくわかっていません。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 7月 21 2010 » 日本のしきたり » No Comments

7月14日水曜日 浜降り祭り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは神奈川県の「浜降り祭り」です。  浜降り祭りは、朝の早い祭りです。7月15日の午前5時頃、夜明けを待っていたかのように神輿をかついだ人たちがやってきます。 「どっこい、どっこい」とかけ声をかけて、神奈川県茅ヶ崎の南湖海岸の浜辺へと集まってくるのです。そしてその神輿を見ようと降ってわいたように大勢の群衆が押しかけてきます。   この暁の夏祭りに、先頭にあらわれる神輿は鶴嶺八幡神社(茅ヶ崎市浜之郷)から来たものです。この浜に集まってくる神輿の数は毎年決まってはいませんが、大体25基から32基くらい。神奈川県下では一番たくさん神輿が集まる祭りです。   午前6時に太鼓が鳴り、祭典がはじまります。寒川神社の神輿を中心に左右一列に並んだ神輿は昇りくる朝日にきらきらと輝き、神々がなぎさにあらわれたという神秘的な気持ちになります。   白装束の20名ほどの神官が、寒川神社の神輿の前に海の幸、畑の幸を供え、祝詞を読み上げます。この地点こそは相模の国の一宮といわれる寒川神社の祭神である寒川大明神が2000年前に降臨されたところといわれています。 祭典は神官がこの地方の神々に夏に多い疫病や水難、海難の起きないこと、秋の豊作や豊漁を祈願して終わります。 一列に並んでいた神輿は、また鶴嶺八幡神社の神輿を先頭に動きはじめます。 帰るかと思った神輿は、逆に海に向かって突進していきます。寄せくる波に飛沫をあげて飛び込んでいくのです。かついでいる男たちは全身に海水を浴び、神輿とともに「みそぎ」をします。後からの神輿も負けずに飛び込み、もみ合います。実はこの行事が浜降り祭りの目的です。  「みそぎ」とは、水につかって全身を清めることです。塩分のある海水は、特に体を清める力が強いとされています。  浜降り祭りで、神輿も海水を浴びるのは神々の霊魂を清め、その威力を強めるためと考えられています。清めの場所に盛塩をしたり、塩をまくのは海水を固体にしたものをつかうのだと考えればよいでしょう。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 7月 14 2010 » 日本のしきたり » No Comments

7月7日水曜日 七夕

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「七夕」です。     一年に一度、二つの星が逢うというロマンあふれる七夕ものがたり。その美しい話に魅せられ、五色の短冊にさまざまな願いを書かれた人も多いことでしょう。最近では、美しい星空を見る機会も少なくなりましたが、私たちの心の中に七夕行事は根強く生き続けています。   七夕は、中国に古くから伝わる牽牛星(けんぎゅうせい)・織女星(しょくじょせい)の伝説にまつわる女性の星祭・乞巧奠(きこうでん)と、わが国古来の棚機津女(たなばたつめ)の信仰が融合した行事といわれます。中国では、古くから牽牛星を農事を知る目安とし、織女星を養蚕を司る星としてきました。陰暦の7月7日、この二つの星が天の川を隔てて近づくことから、一年に一度、織女星がカササギの翼を延ばして天の川に架け橋を作り、牽牛星に会いにいくという恋の伝説が生まれました。そして、織女星は養蚕や針や糸を司る星とされ、女性の願いであった裁縫の上達を祈る星祭《乞巧奠》が行われました。   一方、日本に古代から伝わる棚機津女信仰は、機織姫が人里離れた水辺の機屋で機を織りながら神がいらっしゃるのを待ち、巫女(ふじょ)として神に一夜お仕えします。機織り姫のもとにお見えになった神が帰るとき、村人のけがれをすべて持ち去ってもらうというもの。そのあと、人々は川や海で体を清めたといわれます。日本で七夕行事が行われるようになったのは、天平勝宝7年(755)。宮中において、書道の上達や恋愛成就などを祈って、竹笹に願い糸をかけ、星に祈る神聖な儀式として、行われました。中世に入ると儀式も次第に簡略化され、室町時代には梶の葉に和歌を書いて二星に手向けるようになりました。江戸時代に七夕が五節句の一つとして正式な式日に定められると、武家社会のみならず、庶民の間にも広まり、色短冊や笹竹売りが家々に売りさばく光景が、町のあちこちで見受けられました。七夕の風習は地域によって異なります。   全国的に7月6日の夜、五色の短冊に歌などを書き、様々の形をした色紙と共に笹竹につるし、神を迎えます。その一方で、地域の観光行事として発展し、大がかりな七夕祭が各地で行われています。この場合、商業色が強く、本来の意味が薄れつつありますが、一年に一度くらいは、星に向かって愛する人とロマンをじっくり語ってみるのもよいのではないでしょうか。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 7月 7 2010 » 日本のしきたり » No Comments

6月23日水曜日 花館の鹿島送り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は秋田県の「花館の鹿島送り」です。   6月の空にほら貝の音と、笛太鼓の鹿島ばやしがひびきわたります。鹿島大明神の人形を満載した鹿島舟が、小学生たちにひかれて雄物川へと向かっていくところです。秋田県では田植えが終わると、子供たちが楽しみにしている「鹿島送り」の行事の日が近づいてきます。雄物川にそった大曲市から秋田市にかけてが盛んです。   鹿島送りとは、夏の疫病払いのために鹿島大明神という人形をこしらえて、川に流す行事です。大曲市の小学校では、郷土に親しむ学校行事としておこなっています。6年生が身長30?ほどの鹿島大明神の体の芯を木や竹で作ります。5年生は頭や顔、4年生が鹿島大明神の乗る馬、3年生が手、足、刀、鎧など。2年生は人形の上着と裃を紙で作ります。最後に1年生が「かしまさま」と書いた旗を背中に差します。鹿島大明神の人形はできあがると、老人クラブのお年寄りたちが作った、長さ2mほどのマコモ米の草舟4、5隻に、いっぱいに乗せられます。行列が河川敷に着くと、上級生や父兄たちが川の水に腰までつかり、舟を流れの中に押し出してあげます。子供たちは自分たちの身代わりになって、疫病を受けて流れていく人形に呼びかけて別れを惜しみます。   最近は川が汚れるというので舟を途中でひきあげ、2、3体の人形だけを流すようになりました。「秋田県文化財団調査報告書148集」によると、県内では鹿島送りが50カ所でおこなわれていると記されています。鹿島大明神の行事は、江戸時代のはじめ秋田藩主として佐竹氏が常陸の国(茨城県)から秋田に移ってきたときに伝えられたと言われます。鹿島大明神のもとになっている茨城県の鹿島神宮には、強力な武神がまつられていました。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 6月 23 2010 » 日本のしきたり » No Comments

6月16日水曜日 クスコの太陽の祭り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は世界の信仰、ペルーの「クスコの太陽の祭り」をご紹介します。   南半球のペルーは北半球の日本と季節が反対になります。日本の6月21日は夏至ですが、ペルーでは冬至の日にあたります。6月24日は、新しく太陽が活力を得た日として、「太陽の祭り」がおこなわれます。アンデス山脈の高地にある古都クスコでは、インカ時代の祭りが復活しておこなわれています。   郊外のサクサワマンの丘には数千の見物人が集まってきています。岩山の頂上から祭りのの王様(クスコの市長がその役をする)が輿に乗って祭場へと下ってきます。王様は太陽の化身です。胸にピカピカと光る太陽の形をした金属の大きなバッジを飾っています。右手には王様のシンボルである金色の斧を持っています。   王様は祭場のまん中にある祭壇の上に立ち、黄金色の聖杯をにぎり、高く太陽にかかげました。聖杯の中にはトウモロコシから作ったチッチャという酒が入っているのです。次に王様はその酒を少し地面にそそぎました。最後に彼は聖杯を持ちなおすと、一気にチッチャを飲み干しました。これで彼は太陽と大地とともに三者一体となり、トウモロコシの豊作を祈り、神に約束させたことになるのです。それからアンデスの動物リャマの心臓を太陽や神々に供える儀式がおこなわれます。今では形の演技だけで、本物のリャマが犠牲になることはありません。 祭壇の下で護衛の役についている祭員たちにもチッチャやリャマの干し肉がふるまわれて、大宴会がはじまります。   この祭りは「インティ・ラミ」とよばれ、16世紀にスペインによってインカが征服されると同時に祭りも亡びました。けれども1945年に、クスコの郷土史家ビダール・ウンダによって復興されたのです。儀式も衣装も忠実に再現されています。6月25日にはクスコの大通りでは大パレードや民族舞踊がにぎやかにおこなわれ、太陽とともにインカ族もよみがえるのです。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 6月 16 2010 » 日本のしきたり » No Comments

6月9日水曜日 住吉御田植神事

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。 本日のテーマは「住吉御田植神事」です。    私たちの主食になる稲は、今日では耕運機によって田起こしをし、田植機で田圃に苗を植えています。30~40年前までは田起こしは牛や馬の力を借り、田植えは早乙女とよばれる女性が苗を一本ずつ植えていました。  いまでも狭い山間の水田では、そのような光景を見ることがありますし、神社の神田で神様にお供えする饌米の苗を植える祭りでも、手作業で田植えをします。   大阪市の住吉大社は大都会の真ん中にありますが、古風な牛の代かきや田植えが、今も毎年6月14日に秋の豊作を祈っておこなわれています。   まず神社の屋形の中で、八乙女の役をする女性たちや、稚児などのお化粧をする儀式からはじまります。植女とよばれる女性は、萌黄色の衣装に赤いたすきをかけた華やかな姿になります。本殿でお祓いをした後、植女は苗をいただき、一同は行列を作って神田へと進みます。   神田では、金色に輝く鞍をせなかにのせた牛が代かきをしています。神田には張り出し舞台があり、植女は舞台の上から田圃の中で待っている10人ほどの替植女に苗を手渡します。替植女は真新しい大きな笠をかぶり、さわやかな声で田植え唄をうたって苗を水田に植えていきます。 「神の田植えに目立つものは   並ぶ乙女の赤たすき   田植えする間を見守るように   松の影やら鷺の影・・・・」   一方、舞台ではひきつづいて八乙女の田舞い、田の畦では住吉踊りがおこなわれます。住吉踊りはお坊さんの姿をした童女たちが笠をかぶり、団扇をたたきながら、「住吉さまのイヤホエ、あらおもしろの神踊り、天長く地久しく 五穀豊穰……」と、とびはね踊り、住吉の田植え祭りは終わります。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 6月 9 2010 » 日本のしきたり » No Comments

6月2日水曜日 ころもがえ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「更衣(ころもがえ)」です。    学生の多い街では、毎年6月1日を境に白いシャツがまばゆいほど光ります。春から夏へ、季節の変わり目をはっきり感じさせてくれるのが、ころもがえの日ではないでしょうか。   「ころもがえ」と言いますと、服装を替えることと思われがちですが、平安時代には、装束・調度がえの行事として行われ、更衣(こうい)の節とも呼ばれていました。毎年4月1日(旧暦)になると、宮中では内蔵寮(くらりょう)が夏装束を整え、掃部寮(かもんりょう)が夏の調度品を整えました。『公事根源』には、その様子を「御殿の御帳のかたびら、表すずしに胡粉(ごふん)にて絵をかく。壁代(かべしろ)みな撤す。御畳などの新しきを敷きかう」と紹介されています。10月1日には、夏装束を冬装束に改めます。そのころは、装束の種類は少なく、4月から9月まで、また10月から3月まで同じ装束を身にまとい、下着などで寒暖を調節しました。   室町時代には季節に応じて衣装を着替えるようになり、更衣も頻繁に行われるようになりました。江戸幕府は年4回の更衣を定めました。小笠原礼法『大諸礼集』には「春のすおうばかまの事。柳色に染め我が家の紋を付く。柳を大型にするなり」「出仕の出立(いでたち)の事。春の袷は柳色本なり」と記され、また「夏の裃(かみしも)、地を水いろにそめ、松を大がたにするなり」「秋の裃の事。びわ色本なり」と色や柄の大きさまで細かく定めています。   また4月1日より9月30日まで足袋を用いずという定めもありました。この更衣の習慣は、公家や武家だけでなく、一般庶民の間にも広がり、江戸では綿入れの綿をぬいて袷にして着たことから、「四月一日」と書いて「わたぬき」と読むようになったといわれます。   このような更衣の習慣は、寺院や仏閣でも古くから行われました。寺院では衣装替えや調度品替えが行われ、神社でも神に対して更衣をしてさしあげるということから、伊勢神宮をはじめ、各地の神社で更衣祭が行われています。   明治以降、衣替えは6月1日と10月1日に定められ、学校などでは、この日をもって夏服から冬服、冬服から夏服へと更衣をしています。最近では冷暖房の発達により、季節感が薄れつつありますが、季節の変わり目は心の区切りにもなります。更衣を通じて、新しい目標にむかって新しいスタートを切りたいものですね。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 6月 2 2010 » 日本のしきたり » No Comments

5月26日水曜日 三年目の幽霊

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日は趣をかえて死と落語をご紹介。「三年目の幽霊」です。    大恋愛のすえ結婚いたしましたが、ある日亭主の熱心な看護の甲斐もなく女房は死んでしまいました。   死ぬ前に亭主が、「もし私が後妻を持つようなことがあったら、婚礼の晩に幽霊になって出ておいで。そうすれば、どうしても私は独身で暮らさなきゃならなくなる」と約束しました。   泣く泣く野辺の送りをすませ、中陰もすみ、百ケ日たたないうちに、親戚のものから再婚をすすめられます。はじめは断っていましたが、とうとう後妻をむかえることになります。   婚礼の晩に幽霊が出るはずでしたが、ついにあらわれません。そのうちに子供も生まれ、三回忌の法事をつとめることになりました。その晩、八ツの鐘がなる頃、先妻が幽霊になってあらわれました。黒髪をおどろに乱し、恨めしそうに枕元に座って恨みごとを言います。   「なぜもっと早く出ない」   「私が死んだとき、ご親戚中で頭を剃ったでしょう」   「そりゃ、親戚中集まって、一と剃刀ずつ当てて、お前を棺に納めた」   「坊さんでは愛想をつかされるから、毛の伸びるまで待ってました」   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 5月 26 2010 » 日本のしきたり » No Comments

5月19日水曜日 仏陀のウエサク祭

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は世界の信仰、スリランカの「仏陀のウエサク祭」をご紹介します。   南方仏教のタイ、ミャンマー、スリランカの国々では、5月の満月の夜にウエサク祭を行います。この日に仏陀は誕生をされ、大人になって悟りを開かれ、そして入滅されたことを盛大に供養をする祭日になっています。 スリランカではウエサク祭が近づくと、どこの家でもクードゥワという大きな提灯を作ります。提灯の大きさは1m以上もあり、お兄さんやお姉さんが木の棒で骨組 みを作ると、幼い子たちが紙を切って貼りつけを手伝います。 この提灯は軒下に幾つもならべて吊るし、夕方にはにぎやかに灯をともします。なかには四角の提灯の角を切り落とし、日本の切籠灯籠とそっくりの形のものもあります。よく出来たものは提灯に五色の房をつけ、道路の四辻の空に飾りだされたりしています。町によっては子供たちが協力しあって、道筋にイルミネーションのように美しく飾ります。 ウエサク祭の日には、広場や空地に仏陀の生涯や信仰の伝記を描いた大きなパネルが作り出されます。「ジャータカ」とよばれ、コロンボのような大都会では大勢の人が見物します。どこのジャータカにも話し上手な弁士が脇に立っていて、仏陀の一代記の絵解きに熱弁をふるっています。おじいさんやおばあさんに手をひかれて来た子供にもわかるようにと、弁士は竹ざおで絵をさしながらやさしい言葉で語ってくれます。スリランカの子供たちは、このようにして毎年の5月のウエサク祭で仏陀の教えを覚えていきます。 ウエサク祭の日には、キリヴァとよばれるココナツ・ミルクをたきこんだ白い御飯が仏陀の像に供えられます。儀式が終わると家族そろってキリヴァを食べます。子供たちもほのかに甘い匂いのするキリヴァが大好きです。かずかずの楽しい行事があり、おいしいキリヴァの祝宴にも家族と一緒にならぶと、満月の夜の仏陀の有難さが子供心にもわかってくるのです。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 5月 19 2010 » 日本のしきたり » No Comments

5月12日水曜日 青柏祭

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「青柏祭(せいはくさい)」です。    日本海にのぞんだ美しい港町の七尾市は、石川県能登半島の入り口にあります。5月3日夜、七尾市内の3つの町からごろんごろんと地ひびきをたてて大きな曳山(ひきやま)【山車(だし)】がやってきます。鉦や太鼓に若者たちの元気のよい木遣(きやり)歌が聞こえ、大地主(おおことぬし)神社の宵山の祭りが始まります。     「今日は日もよしキッチョンチョン、明日は申(さる)の日山王(さんのう)の祭り、み山曳きすえ蓬莱(ほうらい)上げりゃ、鶴と亀とが舞い遊ぶ」3台の曳き山が神社の境内にそろうのは翌4日の午前8時頃です。その曳き山の大きいこと、長さ20メートル、高さは13メートル、重さが20トン、車輪の直径だけでも2メートルはあるので、デカ山ともよばれています。     曳き山はいずれも文明年間(15世紀)頃に出来たといわれ、木組みを空にむけて末広の形にして作り、それに幕を張ったもの。歌舞伎の舞台に見立てて、「弁慶の勧進帳」や「忠臣蔵」など名場面の人形が飾られています。   この日神社では五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願する祭典がおこなわれ、その時のお供え物はみずみずしい柏かしわの若葉に盛られて供えられます。それでこの春祭りを「青柏祭(せいはくさい)」と呼ぶようになりました。      祭りの最後の日5月5日には、3台のデカ山が市内をめぐります。大人も子供も綱をにぎり「エンヤ、エンヤ」のかけ声で力いっぱいに曳きます。四つ辻で方向転換をするときの勇ましいこと。若者たちが前の車輪の下にテコを入れ、車を浮かせて一気に回転させます。ギイーッときしむ音と同時にまわりの見物人からいっせいに拍手が起こります。      市内をめぐった後、3台のデカ山は御祓(みそぎ)川岸や仙対(せんたい)橋の上に集まってきます。そしてデカ山をバックにして、獅子舞をはじめ、七尾の町に伝わる郷土芸能が演じられます。デカ山を出した町内の子供たちは曳き山の上に乗ってお祭りを見物しています。    「その時の晴れがましく楽しい思いは一生忘れられない」と七尾の人は大人になっても思い出を語っています。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 5月 12 2010 » 日本のしきたり » No Comments

5月5日水曜日 端午の節句

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「端午の節句」です。   5月5日の「こどもの日」は、戦前までは「端午の節句」と呼ばれていました。  端午という呼び方は中国伝来のもので、「端」は「ものの端」で、月の初めの「午(うま)」の日の行事でした。それがいつのまにか5月5日の行事になったのは「午」は「五」と音通であり、中国では古くから月と日が同じ数字の日を祝日とするならわしがあったからのようです。この日に、よもぎや菖蒲(しょうぶ)を邪気払いに用いたり、柏餅や粽(ちまき)を食べたりする習慣は、やはり中国伝来のものです。家の表に幟(のぼり)をたてたり、室内に人形を飾ったりする習慣は日本のオリジナルです。   五月人形を飾る習慣は、江戸時代、武家で真菰(まこも)の馬に紙人形を乗せ、それに兜をかぶせて立てたことがもとになっているようです。また、表に立てる幟のてっぺんには青々とした杉の枝が結びつけられました。つまりこの幟は、空から降りてくる神の拠所だというわけです。今も、地方によっては「軒菖蒲」といって、よもぎや菖蒲を束ねて屋根の上に置く風習が残っています。これには、家の邪気を払うという目的以外に、神においで願うための目印としての意味があるのかもしれません。ではなぜ、5月の初めに神を迎えて祭りを営む必要があるのでしょう。   5月は、旧暦では田植え月にあたります。大切な田植えを行う前に、神を祀るのは当然です。田植えには「早乙女(さおとめ)」と呼ばれる女性が重要な役目を果たしました。この早乙女が田植えをひかえて、けがれに触れないように家にこもり、神を迎え祀ったのが5月の節句の日本的な起源です。今でも5月5日、あるいは4日を「女の日」として祝う習慣が残っている地方もあります。   ところで端午の節句につきも    の菖蒲は、剣のようにすっくと伸びたその形や潔い芳香、その薬効などから、邪気を払うものとして尊ばれてきました。さらに菖蒲の音が「尚武」や「勝負」に通じることから、男児がたくましく、勇ましく成長するようにと願う武家社会を中心に、端午の祝いに欠かせないものとして定着していったようです。 このように、中国の伝統に端を発した端午の節句は、日本古来の農耕文化と武家社会の慣習が微妙に混じり合いながら、日本独自の行事として生き続けてきたのです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 5月 5 2010 » 日本のしきたり » No Comments

4月28日水曜日 日本三景

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。           本日のテーマは「日本三景」です。   皆さんがご存じの「日本三大」としてまず思いつくのは日本三庭園、もしくは日本三景ではないでしょうか?日本三景は寛永20(1643)年徳川家光の時、儒学者林春斎が『日本国事跡考』において「丹後の天橋立、陸奥の松島、安芸の宮島を日本三景」を卓越した三つの景観として書いたのに由来するといわれています。いずれも、海岸沿いの風光明美な場所で島国日本の景観を象徴しているようにも思えます。     松島は元禄2(1689)年、俳聖松尾芭蕉が門人河合曽良とともに奥州各地を行脚した際に書いた紀行文『奥の細道』でも、「松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず」(松島は日本一風景のよいところであり、中国の名勝地の洞庭湖や西湖と比べても恥ずかしくないほどだ)と詠われている場所です。     芭蕉が松島を詠った句として有名なものに「松島や ああ松島や 松島や」という句があります。あまりの美しさに句も詠めなかったという有名な俳句ですが、実際は江戸時代後期に相模国(神奈川県)の狂歌師・田原坊が作ったもの。仙台藩の儒者・桜田欽齊著『松島図誌』に載った田原坊の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」の「さて」が「ああ」に変化し、今に伝えられているということで、芭蕉の句とは全く関係がありません。 宮島(厳島)は厳島神社を有し世界文化遺産として1996年にユネスコに登録されています。神殿は推古元(593)年の創建と伝えられ、仁安3(1168)年に平清盛によって現在の姿に造営されました。神殿の美しさもさることながら、宮島の美しさの特徴は、海に迫り出した神殿の造りと、島の自然を背にした朱塗りの神殿と緑の絶妙のコントラストではないでしょうか。 海上の大鳥居は楠の自然木で作られており、高さ約16m、棟の長さは約24mです。鳥居は土に埋め立てられているわけでなく、全体の重みだけで立っています。しかし昨年9月7日、台風18号の暴風と高潮のために、多くの国宝・文化財が被害を受けてしまいました。 天橋立のいわれは、伊邪那岐命が立てかけた天と地とを通うはしが、眠っている間に倒れてできたものと『丹後国風土記』には記されています。天橋立は3.2kmもある砂嘴で、宮津湾から内海の阿蘇海を分断しています。砂嘴とは沿岸流や波浪によって運ばれた砂や小石が海岸や湖岸から細長く突堤状に堆積してできた地形のことです。その砂浜には約8000本もの松が生えており、「白砂青松百選」、「日本の道百選」、「日本の名松百選」などに選定されています。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンが お送りいたしました。

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水, 4月 28 2010 » 日本のしきたり » No Comments

4月21日水曜日 ホワイトハウスのイースター

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は世界の信仰、アメリカの「ホワイトハウスのイースター」をご紹介します。   イースターはキリスト教の行事で「キリストの復活を祝う日」とされています。しかし、キリスト教が伝わるずっと以前よりヨーロッパでは「春分の日」に春の訪れを祝うお祭りをしていました。 ヨーロッパでは暗く長い冬を終わらせるために、春の女神エストレが生命の息吹を運んでくると信じられていたのです。やがてキリスト教が伝わり、女神エストレの訪れは、十字架へかけられて死んだイエスが、預言通りに3日目によみがえったことを祝う儀式へと変わりました。イースターはキリスト教ではクリスマスに次ぐもっとも重要な行事です。イースターは春分の日以降、最初の満月の後にくる日曜日におこなわれています。このイースターの名は女神エストレからきています。   ワシントンD.C.のホワイトハウス大統領官邸では、毎年イースターの日に中庭に一般市民と子供たちを招待します。芝生の庭には大きなウサギの人形が飾られ、ウサギのぬいぐるみやタマゴ姿の人々が子供たちを待ち受けています。 もともとは野ウサギは女神エストレのお供でした。そしてその野ウサギが人間に渡すプレゼントがタマゴだったのです。たくさん子を産むウサギは繁栄のシンボルであり、イースターの象徴として、イースターバニーと呼ばれています。 イースターの日には全米各地で、タマゴにまつわるゲームで一日中遊ぶ子供たちの姿が見られます。「野ウサギがイースターのタマゴを夜のうちにかくしてしまった」という言い伝えにもとづいた、タマゴの形をしたチョコレートを草やワラの中から探し出す「タマゴ探し」。スプーンでタマゴを転がしながら競争する「タマゴ転がし」。ここホワイトハウスの中庭にも、子供たちの作ったタマゴの展示や、タマゴゲームのコーナーが設けられています。   アメリカの人々はこのようにして暖かい太陽の下で春の訪れを喜び、一日中ゲームなどに興じるのです。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 4月 21 2010 » 日本のしきたり » No Comments

4月14日水曜日 諏訪の御柱祭

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「諏訪の御柱祭」です。  今年は寅年です。長野県の諏訪大社では、寅年と申さる年の春に御柱祭(おんばしらまつり)という社殿の四隅に4本の巨大な柱を立てる祭りを行います。諏訪大社は上社と下社があり、上社には前宮と本宮、下社には春宮と秋宮があるという大きな神社です。御柱祭は諏訪湖周辺の市町村の人々が、この四社に合計16本の柱を立てるのです。   長野県は山国です。八ヶ岳や霧ヶ峰の山腹から直径1m、長さ20mほどの大木を切りだしそれを御神木とし、雄綱、雌綱をかけて1000人をこえる男たちにより「山出し」の行列を行うというものです。その際、進軍ラッパや木遣の声が山並みにこだまします。   「御小屋の山の樅の木は里へ下りて神となる山の神様乗り立てて 力合わせて お願いだ」   大木が、ざざっと動きます。木遣りの歌詞は道中に合わせて変わっていきます。途中の高さ30mもある断崖は、「木落とし」の難所です。若者が鈴なりになった大木を一気に引き落とすのです。土煙をあげて滑り落ちるさまは壮観、大きな見せ場です。   また、御柱が宮川を渡る「川越し」では、雪解けの冷たい水に腰までつかって大木の川渡りをします。こうして勇ましい山出しの行事は4月に終わります。   5月には、御柱は町の中に入って「里曳き」となります。騎馬行列、龍踊り、奉納太鼓、長持ち行列、花笠踊りなど、総出で神木を迎えます。   「人を見るなら御柱」といわれるほど、長い沿道にはぎっしり人の群れです。   「花の都が近付いた 銀の御幣に金の声 力合わせてお願いだ」里曳きの木遣り歌がひびきます。長い道中で、柱の下側は蒲鉾型にすり減っています。柱に乗った若者の振る御幣が力強く曳き手を励まします。   御柱が社殿に到着しますと綱をつけられた柱の先端が、徐々に地面を離れます。柱には20~30人がまたがっています。柱がおおかた立ち上がるまでに残っていられるのは3~4人。それが垂直に見事に立つと人々の願を受けた最後の1人が頂上に大御幣を差します。どよめきの「建て御柱」です。その瞬間には拍手が沸きおこります。   6年目ごとの大祭に、諏訪地方の人々が故郷に集まり、力を結集させて大木を奉納する御柱祭は、共同体の喜びをよみがえらせる祭りなのです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 4月 14 2010 » 日本のしきたり » No Comments

4月7日水曜日 お花見

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「お花見」です。   日本の4月「お花見」   春の便りの中でも、ひときわ待ち遠しいのが桜のたより。小さな蕾のうちから、心は躍ります。けれど花の盛りは短く、すぐ散ってしまいます。そのはかなさこそ、桜の美しさなのでしょうか。平安時代から今日まで、桜は日本人にこよなく愛されてきました。    花見は、野山に遊ぶ行楽行事や、春風に舞う花びらをめでる風流な行事と思われがちですが、古くは、農耕に先立ち、その年の実りを占う儀式として行われました。古代の人々は冬枯れの枝々から小さな蕾をだし、一気に花を咲かせる桜に不思議な力、神意を感じ、豊穣をもたらす神の降りる木としました。そして桜の花を稲に見立てて占い、桜の花が見事に咲けば、その年は豊作になると喜びあったのです。また、花見には酒や食べ物がつきものですが、これは依代(よりしろ)である桜の木に神を迎え、お供えものを捧げ、神と共に飲食したことに由来しています。花を美の対象として見るようになったのは、奈良時代に入ってからのこと。    中国の文化人に花をめでる習慣のあることを知った人々が、それを模倣したのがはじまりです。宮中では鷹狩りの遠出に代わって、桜狩りと称する花宴が開かれました。東大寺その他の社寺では桜会(さくらえ)、宮中女性の花合(はなあわせ)が行われるようになりました。足利義満がその庭園に多くの桜を植えた花の御所には、しばしば宮廷からの花見の行幸があり、豊臣秀吉が行った醍醐の花見(慶長3年)は史上もっとも豪華なものと言われます。    江戸時代には、庶民の間でも花見が行われるようになりました。その中期、上野では花見の幕が300余も並び、その間をぬうように細紐に女性の小袖や男性の羽織を通した衣装幕が無数に張られました。女性はお正月に小袖を作るのをやめ、花見の小袖を作って衣装幕として掛けることが流行するなど、江戸の人々にとって、花見はかけがいのない楽しみにされました。明治以降は、ソメイヨシノなど新しい品種が次々と誕生。全国各地に桜の木が植栽され、今日では各地で桜祭りが行われています。    四月の声を聞くと、桜の名所は、どこもたいへんなにぎわいです。桜を見るのか、人出をながめるのか、分からないこともしばしばありますが、それでも桜の季節。親しき人たちと一度は花をめでたいものです。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 4月 7 2010 » 日本のしきたり » No Comments

3月24日水曜日 イランのお正月

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は世界の信仰、「イランのお正月(イラン)」をご紹介します。   西アジアのイランでは、わが国のお彼岸の中日が元日になります。それは春分の日にあたり、イランの若い人たちは喫茶店に集まり、時計を眺めあい、その日のその時刻になると、大声で祝福の言葉を叫び、肩をたたきあって新年を祝います。   お客好きのイラン人は、私たち外国人を自宅に招いてくれます。家庭を訪れると、どこの家も客間に正月飾りが並べられています。テーブルの上に美しいペルシャじゅうたんを敷き、大きな鏡が置かれます。鏡の前には大豆、豆の青い苗、ナツメの実、トマト、ニンニク、オリーブ、酢、ガラスの水鉢に入れた金魚などです。これはイラン人にとって縁起の良い食物や飾り物で、長寿や、生命の成長をあらわしています。おそらく7世紀に入ってきたイスラム教よりも古いペルシャ民族の習わしなのでしょう。   昔のペルシャ人は、神聖な火を拝むゾロアスター教を信じていました。1300年ほど以前の名残は今もあり、元日の夕方に大人も子供も焚き火の上を飛び越えてけがれをはらいます。日本の神社で鏡を御神体にするところがあったり、冬の祭りで燃えさかる炭火や薪の上を歩く火渡り神事が行われるなど、日本人の習慣にも相通じるものがあります。   イランの元日にあたる春分の日から13日目は、家族そろって郊外の川のほとりへ出かけます。その日は元日に鏡の前に供えた豆の青い苗を持っていき、川に流して作物の豊作を祈ります。また主婦たちは家族の弁当を作り、お湯をわかすサモワールを持っていきます。家族は川原に敷いたじゅうたんの上に輪になって座り、食べて、歌って、踊ります。トランプをする人たちもいて、一日をみんな楽しく過ごします。   ちょうど春の芽吹きの季節です。川原の樹木の花も開き始め、万物すべてが新しい生命に満ちています。人々も希望にあふれた新年を感じる正月行事の最終日なのです。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 3月 24 2010 » 日本のしきたり » No Comments

3月17日水曜日 加太の雛流し(和歌山)

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。 日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「加太の雛流し(和歌山)」です。 春の明るい日差しの和歌山県加太湾に、長さ2mほどの白木の小舟が2隻流れ出ました。その小舟には雛人形が山とつまれ、岸辺では数百人の女性たちが見送っています。なかには手を合わせて拝んでいる人もいます。毎年3月3日の桃の節句に行われる雛流しの行事です。 この行事がいつからはじまったものか、淡島神社でもよくわからないといいます。加太の淡島神社は全国の淡島神社の根本社です。神功皇后が三韓から帰国のおりに暴風にあって、当地に安着したことから神功皇后を祭神にしています。それゆえに女性の願いをかなえてくれる神社となったのでしょう。 婦人病、縁結びに霊験があるとされ、安産祈願のため櫛やかんざしを奉納する女性の参拝者も多く、2月8日の針供養でも有名です。   2月になると淡島神社には供養のために雛人形が全国から送られてきます。おそらく持ち主のさまざまな思いを託された雛人形たちです。それらの人形が拝殿の前に山と積まれています。なかには鼻や手先のかけているものもあります。見たところ立派な内裏雛もあり、その美しさからか、外国人観光客らしい人が1つ、2つともらっていきました。   午前中に淡島神社の拝殿では人形を白木の舟に積み込む神事がおこなわれました。その後、雛人形の舟を神輿のように担ぎ、数百メートル先の浜へと降りていきます。大ぜいの女性が後に従います。浜辺で再び神官がお祓いをし、祝詞を唱えると、2隻の舟は潮にのって沖合へと流れていきます。 和歌山県には加太の浜のほか、紀の川筋の粭河や紀南の田辺にも流し雛の行事が復活しています。   人型を祓いの対象として流す行事は「上巳の祓い」といって、3月はじめの巳の日に紙の人形を流してけがれを祓うことからはじまりました。平安朝時代にはすでにおこなわれていたといいます。和歌山県のほか東京都、福島県、鳥取県などでもおこなわれています。     明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 3月 17 2010 » 日本のしきたり » No Comments

3月10日水曜日 東大寺お水とり

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。 日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「東大寺お水とり」です。   一般に「お水取り」とよばれている奈良の春先の行事は、大仏さんで有名な東大寺にある二月堂の「修二会(しゅにえ)」のことをいいます。「お水取り」は、東大寺の僧侶が二月堂御本尊の十一面観音に罪やけがれを悔い改め、国民の幸せを祈る法会をさし、期間は3月1日から14日間で、もとは旧暦の2月に行われていました。    毎年3月13日の真夜中に、境内にある若狭井という井戸へ香水(こうずい)とよぶ聖水を汲みに行き、観音様へお供えします。またこの水は無病息災の聖水として参詣者もいただけます。お水取りに参加する僧侶が二月堂に登って行法(ぎょうほう)をするとき、直径1メートルもある巨大な松明(たいまつ)を童子がかついで、僧侶の道案内をします。そのとき、大松明は炎を吹きあげ、火の粉が舞い散り、浅春の夜空をこがすほど壮大なものとなります。その光景が有名になり、「お水取り」の行事を語るときは、二月堂の回廊をめぐる大松明からまずはじまるようになりました。    若狭井の香水を観音様にお供えした後、堂内では「だったん」とよばれる妙法(みょうほう)が行われ、金襴(きんらん)のだったん帽をかぶった勇ましい姿の僧侶が礼堂にあらわれます。錫杖(しゃくじょう)、金剛鈴(こんごうりん)、法螺貝(ほらがい)などが鳴りひびくなかで、火天(かてん)の役が大松明をかざして飛びまわり、水天の役が水を撒まく。そのとき、もうもうたる煙が堂内にたちこめ、逆巻(さかまき)、修羅場(しゅらば)と化します。天竺(てんじく)と呼ばれた時代のインドの呪法の神秘が身近にせまってくる一瞬です。    福井県小浜市を流れる遠敷おにゅう川では3月2日に「お水送り」の行事があります。伝説ではその水が奈良の若狭井まで地下を通ってくるのだといわれています。(現在は遠敷神社の下を流れる音無川で行われています)    奈良の人は二月堂の「お水取り」がすむと、大和に春が訪れるといいます。天平勝宝4年(752)にはじまったこの行事は1200年以上経て今年まで一回も休むことなく続けられているといいます。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。   家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 3月 10 2010 » 日本のしきたり » No Comments

3月3日水曜日 桃の節句

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。 日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「桃の節句」です。    幼い頃、部屋の片隅に飾られた雛飾りが、夜中に動き出したり、話を始めたらどうしようかと、ドキドキしながら眠った経験をもつ女性は少なくないのではないでしょうか。    ご存じの通り3月3日の「桃の節句」は雛祭りとも言われ、女の子の美しい成長と幸福を願うお祝いの日です。この日はもともと五節句の一つ「上巳(じょうし)の節句」であり、上巳とは3月最初の巳(み)の日で、不浄、邪気、けがれが襲ってくる、忌むべき日とされてきました。そのため古く中国では、この日に家にいると災難が降りかかってくるとして、年齢、性別に関係なく官民こぞって川辺に出掛け、水でみそぎをして健康を祈願する風習がありました。    水はすべてを清める意味があり、それが日本に伝わって3月の上巳、または3月3日に行われた「曲水の宴」や巳の日の厄(やく)払いの行事に変化していきました。「曲水の宴」とは、庭園に作られた水流のみぎわに座り、上流から流される杯が自分の前に至るまでに詩を作り、その杯をとって酒を飲む・・・という風流な行事です。今では観光的色彩の強いものとして一部の神社などで行われています。    巳の日の厄払い行事としてこのほかに、紙や藁(わら)、素焼きの質素な人形を作って身体のけがれを移し、供えものを捧げた後、海や川に流す「流し雛(びな)」というものもあります。    この人形が今日の雛人形の原型でもあります。技術の発達とともにしだいに手の込んだ人形として作られるようになり、平安時代には上流階級の子女の遊びと結びついて、雛祭りという行事に変化していきました。江戸時代には内裏(だいり)雛や調度品までしつらえるようになり、明治以降、一般の家庭の中に定着していきました。    この日につきものの食べ物として、菱餅や白酒と並んで蛤(はまぐり)をわすれるわけにいきません。蛤の貝殻は自身の片割れ以外ぴったりと重なり合うものがありません。それが女性の理想的な貞操観の象徴としてとらえられ、この貝が女の子の祭に尊ばれるようになったのです。     長い歴史の中で、忌み日のみそぎの習慣から女の子の幸せと、美しく、健やかな成長を祈る日へと移り変わったこの日の意味をもう一度思い起こし、意義ある一日としたいものです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。  

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水, 3月 3 2010 » 日本のしきたり » No Comments

2月24日水曜日 タイプーサム

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は世界の信仰、シンガポールの「タイプーサム」をご紹介します。   東南アジアの都市国家、シンガポールは、わが国の淡路島とほぼ同じくらいの大きさです。民族色はなかなか豊かで、中国系、マレー系、アラブ系、インド系の人々が暮らしています。 中国系の人々は、儒教や道教のお祭りを、マレー系やアラブ系の人々はイスラム教のお祭りを、そしてインド系の人たちはヒンズー教のお祭りを行っています。  2,3月ころに行われるタイプーサムはヒンズー教のお祭りです。インド人の街のセラグーン通りにあるヒンズー教のスリ・スリニヴァサ・ペルマル寺院は、早朝から大ぜいの人だかり。私はその人ごみの中にもぐりこんで仰天しました。 眼前に半裸体の男性が半眼となり、家族や友人に支えられて立っています。人々は大声をかけ、太鼓を打ち鳴らしてその男をはげましているようです。行者らしい白衣の老人が近づいてきました。 行者は長さ20cmもある太い針を男の右の頬から左の頬へぶすりと突き刺しました。失神状態、いえ、神懸りをした男には痛みは感じないようです。ついで舌を出させてそれにも刺し通します。電撃的な痛みが私のほうに伝わり身の毛がよだつ思いです。それだけではありません。針というよりは鉄線を何十本も上半身に放射状に刺し、それを支えにヒンズー教の神像を載せています。見まわすとこの寺にはこうした人が何百人も集まってすさまじいばかりです。  前の年に、子宝に恵まれるようにとか、家族の病気の回復などの願を神様にかけた人が、その成就のお礼にこのような苦行をしてお参りするのです。願人たちは行列をつくり、熱帯の炎暑の中を3km先のチェティアール寺院へと向かっていきます。 ヒンズー教の信者は、人生には楽と苦があり、楽の恵みのためにはそれなりの苦行を神に誓う信仰に生きているのです。  わが国にも神仏に誓って、塩断ち、茶断ち、酒断ちなどの苦行で、修行や立願をする習わしがありますが、タイプーサムの比ではありません。あまりにも激烈な苦行のために、ヒンズー教の本国であるインドでは、この行事を禁止したくらいです。 明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 2月 24 2010 » 日本のしきたり » No Comments

2月17日水曜日 鬼祭り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は愛知県の東部、三河地方で冬の季節に鬼が大活躍する「鬼祭り」をご紹介します。   数ある鬼祭りの中で、もっとも人の集まるのが、毎年2月10、11日におこなわれている豊橋市の安久美神戸神明社の鬼祭りです。10日にはたくさんの子鬼が町中をかけめぐり、白い粉をまぶしたタンキリ飴を粉とともにまきちらします。この粉をかぶると夏になっても病気にかからないという言い伝えがあります。翌11日が本祭りで、午前中から参拝者がぞくぞくとつめかけます。山村とは異なって露店もならぶ都会の祭礼となっています。   鬼役になる青年は、みそぎをして体を清め、赤衣をまとって体中に白く太い力綱を結んでもらいます。この力綱の結び方は鬼役を出す町の人たちだけが知っています。鬼の肋骨の形に巻くという人もいれば、鬼の強烈なエネルギーが体外にもれないようにするためと説明する人もいます。鬼の神面を顔に押しつけしっかりとしばると、荒ぶる神の魂が鬼役の若者の体の中に湧いてくるそうです。   赤鬼は右手にT字型の撞木(しゅもく)をにぎり、振りかざして参道を闊歩する。撞木は鐘を打つための仏具だが悪魔ばらいもします。そこへ鎧を着けた鼻高面の天狗がはせ参じ、両者の戦いに群集は血を湧かします。赤鬼は天狗をたじろがせ、最後は天狗の挑発に乗って、あばれまわった勢いで、町へと飛び出していきます。赤鬼は町中にタンキリ飴と白い粉をばらまき、豊橋市内の厄払いをします。 三河地方の鬼はいずれも地獄の悪鬼ではなく、人々を守ってくれる善鬼としての親しまれています。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 2月 17 2010 » 日本のしきたり » No Comments

2月10日水曜日 さっぽろ雪まつり

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回は冬の行事として全国的に有名な「さっぽろ雪まつり」をご紹介します。 季節にはさまざまな表情があるように、全国津々浦々に祭があります。時代とともに歩んだ祭の来歴を知り、足を運ぶのもまた一興。何より祭は、元気を与えてくれる活力の素です。  さっぽろ雪まつりは1950年(昭和25年)に雪合戦、カーニバルなどとあわせて、地元高校生が小さな6つの雪像を大通り公園に作ったのが始まりのようです。現在のように大きな雪像が作られるようになったのは第4回(53年)大会からで、1955年には、大規模な雪像づくりに自衛隊が挑戦。第10回大会の1959年には2500人を動員、その模様がテレビ、新聞で紹介され、札幌の雪まつりから日本の雪まつりへと発展していきました。    1972年の冬季オリンピック札幌大会の際、雪まつりの模様が国内はもとより衛星中継を通じて全世界に紹介されたのがきっかけになり、世界的に知られるフェスティバルになりました。それを受け、1974年からは外国人も参加する国際雪像コンクールも始まるなど、国際色豊かなお祭りに変化していきました。開催当初は5万人の観衆を集めた市民の祭典でしたが、今では全国から220万人以上が訪れる祭りとなっています。    現在、会場は札幌市内に4カ所あり、各会場あわせて約350の雪像が立てられ、なかには高さ15メートルを超える巨大雪像も登場しています。真駒内まこまない駐屯地内の会場には雪の巨大滑り台、中島公園会場は市民グループの手による雪像が目玉となっています。すすきの会場には約100の氷像が展示されるなど、会場ごとに個性をだしています。そして、メイン会場となる大通り公園では、話題の人物や歴史的建造物、そしてアニメのヒーローまで、大小さまざまな約170の雪像が目抜き通りを埋め尽くします。また、夜になってライトアップされた雪像は幻想的で、実にロマンティックな光景となり、観客の目を楽しませます。    さっぽろ雪まつりの開催は、2月5日から11日の7日間。2月といえば一年のうちで最も寒くなる時期ですが、最も熱くなるお祭りが開催されるわけです。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。  

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水, 2月 10 2010 » 日本のしきたり » No Comments

2月3日水曜日 節分

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   本日のテーマは「節分」です。   立春の前日を「節分」といいます。節分とは文字通り季節の分かれ目のことで、昔は立春、立夏、立秋、立冬のすべてを節分と呼びました。もともと年4回あったものが立春の前日だけを節分というようになったのは、一年のうちでも冬という最も厳しい季節を過ごし、やっと春がやってくるという人々の喜びがそれだけ特別であったことと、農事初めの祝いとが重なったためだといわれています。   節分と聞いてすぐに思い浮かべるのは、やはり、「福は内、鬼は外」の豆まきでしょう。以前はどこの家庭でも豆をまく光景が見られましたが、住宅事情の変化もあって、めっきりこの行事も見られなくなってしまいました。豆まきに代表される鬼打ちの所作などを演じる追儺(ついな)行事の起源は平安時代にまでさかのぼり、中国の「儺祭(なさい)」がその原型のようです。   家庭行事としての豆まきの方は必ずしも節分とは限らず、大晦日や正月七日に行う地方もあります。節分を節がわり、年越しと呼ぶ地方があることからもわかるように、これが一種の正月であり、新しい季節を迎えるにあたって、災厄、邪気を払う呪法の一つであったことがわかります。またこの日、ヤイカガシといって戸口にイワシの頭やねぎなどを焼いて串にさす習慣も全国的に残っています。ヤイカガシという名称は、焼いた臭気をかがせて邪気を追い払うという意味の言葉です。   本格的な豆まきの方法としては、夜(午後8時から10時)になったら玄関、勝手口、縁側などすべての戸を開け放ち、年男が升に入れた豆を手に玄関から入り各部屋の出入口のところで、「福は内、鬼は外」と2回ずつ繰り返し声をかけて豆をまきます。このあと、家族全員で揃って豆を食べますが、この豆は「年取り豆」ともいわれるもので、自分の年齢の数だけ食べるのが一般的なようです。いずれも、豆を食べると「まめ(健康)になる」といわれることから始まったものです。   住宅事情などもあって、豆まきを家庭ですることがかなり難しくなっていることも事実です。しかしとくに幼い頃に、こうした伝統的な行事を経験するかしないかはかなり重要なことだと思えるのです。ほんのまねごとであっても豆ぐらいは用意して、節分の日の意味を子どもに聞かせながら豆を食べるぐらいの時間は、ぜひとも持ちたいものです。    明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 2月 3 2010 » 日本のしきたり » No Comments

1月27日水曜日 ハノイのお正月

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。   本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回のテーマは「ハノイのお正月」 今月の最終は世界の信仰に目を向けてみたいと思います。 ベトナムの正月は「テト」といわれ、旧暦で行われている。紀元2000年は2月5日である。 ハノイでは、旧暦の年末に歳の市が立つ。花市が特ににぎやかだ。桃の花枝と金柑の鉢植えが縁起もので、どこの家でもこの2つを客間に飾り、お正月を迎える。桃は悪魔ばらい、黄色の実のついた金柑は黄金を意味している。 元日を迎えると、ハノイの人々は日本と同じように初詣でをする。仏教の寺や、中国の聖人孔子をまつった儒教の廟に行く。なかでも11世紀にできた文廟では、住民たちによって王朝時代の初詣でが再現されている。 元日は男子の初詣での日で、当時の礼服で孔子の像に参拝する。笛、太鼓、鉦、胡弓などが演奏され、日本の雅楽そっくりな音色が流れてくる。 2日は女子の初詣での日で、民族衣装のアオザイをまとった女性たちがローソクの灯をかかげて参拝する。その前後を少女たちが華やかに舞いめぐっている。 女性たちの初詣でが終わると、境内に銅鑼や太鼓が鳴り響いて急に騒がしくなる。そこには鳳凰、龍、虎、亀の姿をした若者たちが踊りをはじめる。翼をひろげて飛び跳ねる鳳凰のまわりをとりまくように、長い胴をくねらせる龍、勢いよく駆けめぐる虎、その足元を亀がのそのそと這っている。 これは中国の漢代(紀元前202年から220年まで)に信仰されていた天地四方を守護する青龍、白虎、朱雀、玄武の四聖獣の姿で、四神ともいう。日本では奈良県の高松塚古墳が昭和47年(1972)に発見されており、四方の壁にこの四聖獣が描かれてあったことで急に有名になった。  ベトナムの人は、戦争が続いていた15年の間も初詣でとともに四聖獣の信仰を絶やすことなく続けてきたのだそうだ。この国の体制が社会主義になっても、国民と民族の伝統にもとづく信仰心は容易に失われるものではないのであろう。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 27 2010 » 日本のしきたり » No Comments

1月20日水曜日 たませせり

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。 日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回のテーマは「たませせり」 新しい年を迎えることは、身も心も新鮮になって、より強く生きることと、日本では古くから考えられてきました。  正月には、若者たちが寒さに負けずに体と体をぶつけあう祭りが日本全国にあります。福岡市博多の筥崎宮の「玉せせり」も有名です。1月3日に直径28センチ重さ10キロもある木製の玉を、裸になった若者たちが奪い合うのです。 木でできた玉は男玉と女玉の2つがあります。はじめに神官がこの2つの玉をお湯で洗い、さらに油をぬり、白紙でふき清めます。女玉は本宮の神前に安置され、男玉は筥崎宮から150mほど離れた玉取恵比須神社へと運ばれます。この神社が玉せせりの出発点になるのです。 神官が下帯姿の一人の少年に男玉を渡します。すると、周りから同じ年頃の少年たちが、わーっと男玉をめがけて集まってきました。玉にさわると無病息災で運が開けると言い伝えられています。  「玉せせり」の「せせる」とは方言で「触る」「競う」という意味になります。  「わっしょい、わっしょい」 少年たちは玉にさわろうと声をあげてもみ合いになります。玉には油がついているので、つるつると滑って手から手へと渡ってゆきます。 男玉は奪い合われながら筥崎宮へと進んでいきます。そこには若者たちが待ちかまえています。若者たちははげしく体をぶつけ合い、 「おいさ、おいさ」 と叫んで男玉をつかみ取ろうとします。その肉弾戦にまわりから力水がかけられます。男玉は最後に筥崎宮の楼門に達し、無事神官の手に納まります。ここで男玉は女玉と並んで神前に奉納されるのです。 少年も若者も、力いっぱいもみ合った後の気持ちの良さ。そこで祝い歌の合唱がはじまり新年を喜び合います。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 20 2010 » 日本のしきたり » No Comments

1月13日水曜日 お正月飾り

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 本日のテーマは、「日本のしきたり」。日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回のテーマは「お正月飾り」  年の瀬を迎え、店頭でお正月の飾りが売り出されるようになりますと、「いよいよお正月」という晴れがましい気持ちになります。   さて、お正月にどこの家でも飾られるものに鏡餅があります。   鏡餅は満月のように丸い形が生命力をあらわします。この鏡餅は、白木の三方に白の紙を敷き、鏡餅を2つ重ね、裏白(歯朶の葉のこと)、ゆずり葉、橙(代々家が続く)、海老(腰が曲がるまで長生きする)というおめでたい言葉を連想させる物を組み合わせて飾ります。   鏡餅が一般に普及したのは、室町時代以後に床の間が設けられ、床飾りが行われるようになってからといいます。もともと鏡餅は、元日に宮中で始められた歯固めのための餅で、年齢を表す歯を丈夫にすることを願い、硬い餅をかんで齢を固めるという意味があったのです。平安時代には、公卿の間で子供の成長を祝い、餅を頭にのせる戴餅の行事が流行しました。現在でも、餅を神仏に供え、元日にこれを頂くのは、このお祝いの名残りでしょう。そして正月の11日には、鏡開きといってこれを硬いまま食べたりしました。   また「諸国年中行事」には、間口に応じて注連縄を張り、井戸、竃、神棚、湯どの、かわやに至るまで松をたて、輪飾りといって注連を輪にして掛けた」とあります。   門松は門前に松を立てた飾物です。これは中国の風習に倣ったもので、中国では、松の枝を門戸に挿して、門神を祀ったり、贈り物に松の葉を添えたりしました。日本では新年に、神の依代としての常磐木を飾り、栄えを祝う風習として残っています。   紀貫之の『土佐日記』の、延長8(930)年の正月の記事に、門口にヒイラギを立て、注連縄を張り、ボラやイナの頭を焼いて吊したとあり、神を祀ると同時に悪を退散させる用心も忘れていません。   元日から松飾りを取り除くまでの間を、ふつう松の内と言い、1月7日までを指します。古くは江戸でも15日まで飾り、そのあとこの松を焼いて爆竹(左義長、どんど焼き)をする習慣がありました。   明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。  

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水, 1月 13 2010 » 日本のしきたり » No Comments

1月6日水曜日 お正月

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。    本日のテーマは、「日本のしきたり」。 日本の年中行事や歳時記をご紹介します。   今回のテーマは「お正月」 昔の人にとって、正月には特別な喜びがあったようです。太陰暦を用いた時代は、立春を一年の出発点と考え、正月としました。厳しい冬に別れを告げ、すべての生命が息を吹き返す正月は、人々にこの上ない幸せを予感させてくれたことでしょう。    古来、盆と正月は先祖の魂が戻ってくる魂祭(たままつり)の行事でした。中世以降、お盆が仏教的行事としての色彩を濃くしていったのに対し、正月は神事化しました。そして、農耕儀礼や公家・武家儀礼と深くかかわりながら、さまざまな行事やしきたりが生まれました。   正月は、新しい年神を迎え、その年の豊かな実りと家内の安全を祈る行事です。正月に関係の深い事柄にはいろいろな意味が込められています。   【門松】・・・年神を迎えるため玄関に依り代(よりしろ)となる門松を立てます。 【鏡餅】・・・床の間には年神の宿る鏡餅を飾ります。鏡餅は大小二つ重ねますが、これは陰と陽を重ねることで、福徳の重なることを願ったものです。 【若水・お屠蘇】・・・元日の朝には、若水を汲み、お屠蘇を頂き、雑煮を食べます。若水は、年神に供えたり、雑煮に用いますが、これを飲むと一年間健康に過ごせるだけでなく、若返るともいわれます。屠蘇は「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」ことから名付けられました。屠蘇散という漢方の薬を酒に浸して飲む宮中の風習が、民間に伝わったものとされています。 【雑煮】・・・年神を迎えるために大晦日に供えた餅を元日の朝に食べたことが始まり。神様と共に食するものという意味があり、正月にいただくと、年神の祝福を受け、一年中健康で暮らすことができるといわれます。 【初詣】・・・大晦日に、一家の主人が氏神の社に徹夜でこもり、身を清めて家族の一年の無病息災を祈願しながら、年を迎える年籠(としごもり)などの風習が簡略化されたもの。年始の挨拶回りは祖先の魂祭に加えて、生きている親を祝う意味があります。   明治の改暦により、太陽暦の正月にかわり、40日近くの季節感のズレが生じるようになりました。今日では信仰上の意味が薄れ、単に新しい年の初めを祝うという気持ちで営まれる行事が増えています。しかし、「新年おめでとう」という挨拶の言葉には、前もって祝うことにより、悪運をよせつけないでおこうという、予祝の意味合いが込められています。正月は私たちにとって一つの区切りとなっています。「今年こそ…」と誓いを新たにする絶好の機会ではないでしょうか。    明日のテーマは、葬にまつわる体験談です。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 6 2010 » 日本のしきたり » No Comments