家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

1月31日 大好きなお母さん

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 大好きなお母さん 中学2年生の冬、お母さんは事故で突然亡くなった。 前日に電話で話をして、次の日に会う約束をしていた。夜中、突然姉が嫁ぎ先から泣きながら実家に来た。 『お母さんが事故にあった』 急いで父の運転する車で病院に駆け付けた。車の中では、そんなにひどくないだろうと甘い考えだった。病院に着くと入り口から診察室まで血が点々と床に付いていた。待合室で待ってると、先生が診察室から出てきた。お母さんが亡くなったと知らされた。でも、なぜか涙が出なかった。実際に見ていないからだったのか。 病院から家に帰るときに父に言われた。これからは参観日や行事には誰も行けないがしょうがないなと。お父さんは来る気はないんだと少し悲しかったら、 お母さんが病院から家に運ばれて布団に横になっているのを何分か見ていた私。親戚のおばさんが顔を見とくかと尋ねてきたが、答えられなかった。見ておいたほうがいいと言われ、頭に包帯を巻いたお母さんを初めてそこで見て、初めて涙が出た。現実なんだ。家は生活感がすごくあって、でもそこに住んでるお母さんはもういない。もっといっぱい会っておきたかった。話をしておけばよかったと後悔ばかりした。 お母さんにもらった最後のお年玉にはメッセージか書いてあった。『さゆりちゃんはママの事あまり好きじゃないかもしれないけど、ママの大好きなさゆりちゃんへ』と。大好きに決まってるのに、そんなことを思わせていたなんて。 あれから14年私は2人の子の母になった。育児のことで悩むことは頻繁にあるが相談する人がいない。自分が母になって改めて母の大切さをしった。生きていたら、なんてアドバイスをくれるだろうなんて考えてしまったり。 自分の子供たちにも母のことを知ってもらいたくて、よく話をする。強くて優しくてすごい人だったのよって。 私もそんな母になれるように頑張る。 お母さん、あなたが亡くなって14年経つけど、今もこれからも一番大好きだよ。親孝行できなくてごめんね。孫も見せたかった。抱っこしてもらいたかった。 私を産んでくれてありがとう。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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木, 1月 31 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月30日 お母さんありがとう

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 お母さんありがとう お母さんが亡くなって7年経つね。季節は毎年同じように巡ってくるけど、心の中には年々寂しさが募る。 あの時病室でら滅多に弱音を吐かないあなたが、『どうして、こんな病気になったんかねぇ』と深いため息混じりにぽつり呟いた横顔を思い出すたび、切なさと無力感が心によみがえる。 昭和20年8月6日に原爆が落とされていなければ、多発性骨髄腫を発症していなかったのかなぁと思う。でも。病気の発症がなくなる8ヶ月前で、80年の人生の大半は極めて元気で快活な人生だったこと、神様に感謝。 訃報を知らせた貴方の長年の友人達の誰1人、貴方が原爆に遭っていた事実を知らず驚いていた。それは誰にも話したくない恐ろしい経験だったのでしょう。 でも、私には小さい頃からその貴重な体験を語ってくれたね。廊下の壁に突き刺さる窓ガラスの破片、それを運良く避けて廊下にうずくまるあなたの姿が、くっきりとした映像として目の前に浮かぶほどあなたの体験談は私の頭の中に刻み込まれてる。 『これからの世の中、女性も大学へ行かんとね』と、他県の大学へ快く送り出してくれたね。でも送ってくれたプラットフォームでお互い涙が出そうで顔をまっすぐ見られなかったよね。結婚も他県だったけど、どこで暮らしても一緒と言って、私の気持ちを随分軽くしてくれたね。父が幼いときに亡くなり、あなたと兄と私の3人で力を合わせて生きてきたけど、世間の未亡人のイメージとは程遠い、明るく大雑把な性格に、兄も私もどれほど救われたでしょう。決して恨み事など言わず、前向きに生きる姿、大好きでした。 私も中年になり、子供達も独立し、長く一人暮らしを貫いたあなたの心境が少しわかるようになった。生前、もっと言えばよかった『ありがとう』を、今心から言える自分がいる。 人生の最高の先輩としてあなたに出会えたこと、深く感謝してる。そして、また生まれ変わったら出会いましょう。その日はを楽しみにしてるよ。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 30 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月29日 母が残した俳句

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 母が残した俳句 あなたが亡くなった後に部屋を片付けていて、驚きました。明らかに入院中に詠んだと思われる俳句のメモが出てきたのです。随分多くの句が記されているのですが、もう文字も忘れてしまった頭で、それでも必死になって書き綴ったと思われるものです。一行をまっすぐに書くこともできなくなり、乱れた文字で書き残したそれらを見て胸の詰まる思いがしました。 院内やつくづく醒めて春の雪 花咲いて老婆泣きおりこの世かな 狂えるは1人旅ゆく花嵐 一日中探し物し、お金を取られたといっては弟夫婦を困らせ、生まれ育った長崎に帰りたいと言い出したら、もう決して誰の言うこと聞こうとしなかったあなた。私たちは、あなたのことは完全に壊れた人だと思いました。も自分たちだけでは面倒見ることができないとあなたを施設に預けたのです。 そのあなたが、これだけ見事な句を作り続けていたなどと、どうしても信じることができません。見舞いに行くと『家に帰りたい。ここが何処かわからない』と言っては、私を悲しませたものです。弟夫婦はよく辛抱して、あなたの世話をしてくれたし、私は、姑のいる我が家にあなたを引き取ることなどできなかった。『もしあの時』という選択肢は、今も思いつかないままです。 でも、懇願しても聞き入れてもらえない悲しみを抱えて、深い孤独の中で、これらの句を詠んだあなた。それを、亡くなった後になって知るとは、改めて私は自分の冷たさに向き合わざるを得ません。 迷い出ていて一匹の蟻うろたえぬ 春眠や醒めて1人となり到る 認知症になり、この頭の霧が晴れたらいいのにといつも泣いて嘆いていたあなたを、最後に支えたのは、やはり私たちではなく、俳句だったのでしょうか。 もしあの世というものがあり、そこであなたに会えるならばその時こそあなたの俳句について思いっきり話しあいたい。今も私を責め続けている一句一句について、議論したり感想を述べ合ったりしたい。どうして私たちは、もっとあなたの俳句について話し合わなかったのでしょう。死の間際のあなたを支えたのは結局俳句であり、私達子供ではなかったことについても、聞いてみたいと思っています。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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火, 1月 29 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月28日 ごめんなさい、ありがとう

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 ごめんなさい、ありがとう お母さん、あなたが旅立って5年の月日が流れました。 病院から自宅に戻り、座敷で厳かに『湯灌』が行われました。そこに静かに横たわるあなたは、今にも目眠りから覚めそうな、穏やかな表情をしていました。私は思わず頬に触れてみました。手のひらに伝わる冷たさを除けば普段のお母さんとはなんの変わりもありませんでした。お父さんと2人、湯水で拭き清めました。 亡くなる数ヶ月前、新幹線を乗り継ぎ、お見舞いに行った日のことを覚えていますか?あの時、これが最後の面会になるのではと、胸が締め付けられました。不謹慎だとは思いましたが、目の前にいるあなたの温もりを、この手に感じておきたいと思いました。私は還暦近くなるというのに、未だ自分の本心を母親に打ち明けられず、距離を置いてしまう成長しない娘でした。何事にも意欲的で気高さた漂うあなたの姿は引き込み事案で消極的な私にとってはあまりにも眩しく、近寄りがたい存在だったのです。 病室で『今日はシャワーの日なの?』と胸の内は悟られないように、私は敢えて明るく聞いてみました。『昨日だったよ』という返事に、『体を軽く拭せてくれる?』とためらわずに言葉が出ました。あなたは少し微笑んで頷いてくれましたが、心を見透かされているようで実は動揺してたんですよ。洗面所とベッドを往復しながら、これは自己満足なのかそれとも親孝行なのか、自問自答・・・。そしてこんな形で母親とのふれあいを持とうとした自分が情けなくもなりました。 『湯灌』という厳粛な時の流れの中で、再びお母さんと対面していると少しずつ穏やかになっていく自分を感じました。そして初めて心おきなくあなたと会話する、娘としての自分の姿がそこにあったような気がします。亡くなってもなお、私を見守るお母さんの存在を感じ、胸が熱くなりました。 振り返れば『湯灌』という儀式は私の厄介な性格までも綺麗に洗い清めてくれたのかもしれません。 あれから5年、妙な話ですが、年を重ねるごとに母を娘の絆が深まっているように思えます。 今更ですがいえ今だからこそお母さんに伝えたい・・・。 素直な娘でなくてごめんなさいね。そしていつもそばにいてくれてありがとうございます。おかげさまで主人や子供達そしてお母さんのひ孫達、みんな幸せに暮らしていますよ。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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月, 1月 28 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月25日 言う通りにしたよ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 言う通りにしたよ 母さんあなたは常々言っていた。決して冗談でないことはあなたの真剣な顔が物語っていた。 『兄姉の誰よりも長生きできて本当によかった。苦労もたくさんあったけど、なにはともあれどんな時も自分らしく平然と生きてこれた。今つくづく幸福を感じている。最近考えるのはどうやって自然に老いて自然に逆らわずに逝けるかということ。私はね、身も心も枯れ切って逝けるのはめでたいことだと思っている。 からだから何本もチューブを出して機械の力を借りて、ただ心臓が動かされているというのだけは絶対ごめんだからね!』 母さんの真剣な願いと受け止め、僕は申し出たよ。医師を初めとして、周囲の誰もが望むことを拒むことだった。母さんのたっての願いと信じてのことだった。 そして訪れた訣別の朝から1年半も経った今に至るまで続く自問自答の日々・・・。あれでよかったのか?いや、よかったのだ!と・・・。 『母さんの言うとおりにしたよ。あれで良かったんだよね』と今日もまたいつものように花に囲まれた写真の中のあなたに話しかける。いつの頃からか気づいたら『よかったよ。言う通りにしてくれてありがとう』とあなたが言ってくれる気がするようになった。『エネルギーが残り、心に執着や欲望があったまま逝くと、そのあとの魂は決して安らかではないよね』僕の口癖だがその通りだろう?母さんはどんな時も決して力を抜かず精一杯生きた。すべてが燃え尽き、満足と幸福の中に人生の幕引きをしたんだよね。 母さん、あなたはこうも言っていた。 『父さんから何度も恋文をもらったのに私は一度も返事を出さなかった。書いたけど、投函する勇気がなかった』 僕が冷やかすとあなたは少々むきになって、『その頃は女のたしなみで簡単にできることじゃなかったときなの・・・でも悔いがあるとすれば、そのことかな』と笑顔で応えたものだった。母さん、親父に逢って詫びた?思いの丈を全て話したんだろ。よかったねぇ。 改めて伝えたいことがある。母さんの子供で本当に良かった。母さんに倣い自分らしく力いっぱい生きていくよと。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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金, 1月 25 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月24日 被爆した母へ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 被爆した母へ お母さん、昭和20年の8月6日の朝に広島市内に原爆が落とされましたね。その時お母さんは、爆心地に近い実家の廊下で新聞を読んでいて、僕は隣の女の子と風呂場で遊んでいたそうですね。お母さんはガラスの割れた部分から僕を助け出し、横川方面に逃げたそうですね。 僕は顔が腫れ、下顎が突き出て人相が変わり、耳の辺りを除いて髪の毛はなくなり、赤い斑点が体中にできていて、熱が出ると助からないと言われたようですね。 一方お母さんは、左肘と顎に小さな傷がある以外は大した外傷もなく、わりと元気だったようですね。 ところがだんだん肘の傷が広がり、ウジかわわいてハエが飛び交いはじめ、真っ赤な血便も出るようになったらしいですね。診てもらう医者もいないので治療を受けられず、次第に体が消耗していて、だんだん息苦しくなるのよと訴えるようになったみたいですね。 やがてお母さんは死期を知ったのか、胸の上で両手を合わせて息子のことよろしく頼みますと涙ながらにみんなにお願いしていたようですが、生き地獄だったのよという言葉を残して、9月17日に24歳の若さで亡くなってしまったんですね。 僕の成長を楽しみにしながら、一発の原発によって命を断ち切られ、悔しかったでしょうね。まだ3歳であった僕は残念ながらお母さんについては何の記憶もありませんが、お母さんのお姉さんから聞いた事柄や、新婚当時のお父さんとお母さんが銀座を楽しそうに並んで歩いている写真を見たりして、精一杯生きたお母さんの生前の様子を思い浮かべています。 原爆が投下されて地獄のようになった中を、自らの命をなげうってまでも、僕を助けてくれてありがとう。おかげで良き妻や子や孫に恵まれて充実した70歳を迎えています。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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木, 1月 24 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月23日 母よ、許しておくれ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 母よ、許しておくれ おっ母さんは、67年の生涯を終え旅立つ時、口には1本の歯も無かったな。 思えば、おっ母さんは寒村の小農家の貧しい生活の中、左半身不随の身で11人の子を産み、皆元気に育ててくれて、さぞや苦労したかと感謝しているよ。 おそらくおっ母さんは、自分は食うや食わずの日もあっただろうに、子供だけは丈夫に育てなければと、不自由な体に鞭打ちはいつくばりながら必死の愛情をもって、己の歯までも1本残らず、母乳に溶かしてまでも、分けて飲ませてくれてしまったのか。 だってそうじゃないか。 おっ母さんは、そんなことはないと言うだろうが、11人のうち長兄は24歳で戦死したが、一番上の姉は92歳、二番目の姉は80歳まで生きたよ。そして現在残る8人も、いくら世の中が高齢社会になったとはいえ、全員80代、70代で元気に暮らしていられる事は、歯までも溶かして飲ませてくれた、おっ母さんのおかげだよ。 きっとそうに違いない。 そんなおっ母さんに、たとえ1本の歯の、その欠片さえも入歯してやらず、本当に申し訳なかったよ。 最近私も上下3本の入歯が抜けて物を噛む不便さは痛感するとき、おっ母さんは食事を噛む歯もなく味もわからず、みんな飲み込んでいたのかと、今頃になってやっと分かり、なんで入歯してやらなかったのかと、涙が止まらないよ。 お母さんはすでに50回忌を越え、私は喜寿にもなったが、この馬鹿息子の親不幸をどうか許しておくれよ、おっ母さん。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 23 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月22日 どうぞ、やさしい娘をもって

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 どうぞ、やさしい娘をもって お母さん、あなたはハル子という名前でした。肺ガンとわかって入院し、看護婦さんに石田さんと呼ばれて、ハル子よと言っていましたね。多分お母さんは旧姓の幼友だちからハル子さんと呼ばれていた時代に戻っていたのだと思います。だから私も、弟とあなたのことを話題にするときはハル子さんと言っています。 ハル子さんと私とは必ずしもしっくりいっていたとは言えません。あなたは私を『よそへ行く人』、弟を『跡取り』と口にすることが多かった。私はいつもそれを理不尽に感じていました。ハル子さんは大正生まれだし、男尊女卑の気風が強い九州の片田舎という土地柄を思えば仕方のないことで、まあだいたい、どこの母親もそうだったのでしょう。しかし、学校で男女平等だと教わっていた私には納得しがたかったのです。で、なるべく早く家を、九州は出て行こうと決心しました。そうしてそれを、家から遥かに離れた大学への進学という形で実現させたのでした。 合格通知が届いて以来、遠いところで自由に羽ばたけると私はウキウキしていましたが、『遠くに行くと、やっぱり親子の縁は薄うなるもんね』と、荷造りを手伝ってくれながらハル子さんがつぶやいたのをよく覚えています。 お父さんが結核で入院したせいもあって、うちはかなり貧乏でしたね。でもハル子さんは頑張り屋で、決して借金はせず、自分の事は後回しにして、子どもたちには人並みの事をしてくれました。奨学金とアルバイトでしのぎ、家から仕送りをしてもらわなかったとはいえ、私を4年制大学へ行かせてくれたのですから、人並み以上のことをさせてもらったわけです。それでも晩年、『もっといい家に生まれたら、あなたの苦労も少なかったろうに。ごめんごめん』と言っていましたね。 ハル子さんが入院する前年、いとこが事故死した処理に上京して倒れてしまったので、とにかくハル子さんの葬式までは倒れられないと、入院中ずっと思っていました。そのため全力を尽くして看護することができず、私の方こそごめんなさいと言わなくてはなりません。今も本当に心残りです。 ハル子さんは生まれ変わりを信じていましたが、旅立って七年、もう生まれ変わったのかしら?ハル子さんこそ今度はうちより裕福な家に生まれて、どうぞ私のようなきつくない優しい娘を待ってください。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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火, 1月 22 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月21日 受け継がれる屑糸入れ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 受け継がれる屑糸入れ 運命の無慈悲さを否応なしに思い知らされ、私の半生最悪の出来事だったあなたの永遠の旅立ちの朝。お通夜も葬式も満足に勤められないほどにボロボロな私でした。茫然自失の日々。 そんなある日、娘の薫が衣類の繕い物を携え我が家をを訪れました。私を励ますための訪れであることは明らかでした。薫が繕い道具入れを出した時、電気にうたれたようなショックを受け思わず『まだそれを使ってたん?』と尋ねました。『そうだよ。あのねお母さん、これをそろそろ菜々に譲ろうと思っている』と薫は笑いながら答えました。 それは薫が小学生のころ、教材用の裁縫道具入れとして与えた煎餅缶。そうです、私も小学校の頃、裁縫道具入れとしてあなたから渡されたあの缶です。薫は言いました『お母さん、ウチって貧乏なん?』私も言いましたね。貧乏だからこれなんだね、と。あなたは中に入っていた屑糸を出しながら『母さんはね、母から1粒のご飯、一筋の糸、1枚の紙も粗末にしてはならないと教わった』と言いました。長じて、そのような暮らし方はごく普通であって、質素倹約は美徳。欲望を抑えるのは女のたしなみと言われた時代に生きた事を知りました。缶蓋に書かれた博多の目がずらの絵はほとんど消えているけれど、母さん、あなたの言葉=教えの数々が鮮やかに蘇ります。 『素直なこと、従順なこと、忍耐することはどんな時代にも必要なこと』『女でも闘う時はある。いろんな苦労とね。また、闘おうにも闘えない時もある。天災とか病気とか死とか。そんな時必要なのは耐える力。だから子供の頃から我慢する習慣を身につけないといけんよ』『どんな苦しく辛い時も決して逃げちゃいけない。精一杯、力を抜かず闘うこと。それが生きるということ』『世の中って理不尽や不条理なことでいっぱい。それを受け入れて何事にも頑張らんとね』『母さんはそうやって生きてきた。満足しているし幸福だったとさえ思うようになった』・・・蘇るあなたの言葉=教えは尽きない。 私もそろそろ立ち直らないとあなたに叱られそう。古びた屑糸入れが色あせないあなたの言葉=教えとともに4代目に受け継がれる日も近い今、改めて強く思います。『たくさんの教えをありがとう』と。さらには『お母さん、私はあなたの娘で本当に良かった。私も満足と幸福を感じられるように生きます』とも・・・。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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月, 1月 21 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月18日 私の三人の母へ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 私の三人の母へ 私は3才の時に産みの母を亡くし、母の事は何も覚えておらず、写真を見てこんな母だったんだなと思うくらいです。 その後は、育ての母にお世話になり、愛情をかけてもらい、立派な1人の女性に育ててもらい嫁がせてもらいました。 今では、本当に感謝の気持ちでいっぱいですが、その母も私が嫁いで第一子の女の子を産み、その子が1歳になり、まもなく亡くなってしまいました。産着を贈ってくれたり、一歳の誕生餅を届けてくれたりたくさんたくさんお世話になりました。また沢山の愛情も孫が可愛いと言って親子共に受けました。何の恩返しもできないうちに亡くなってしまい今となっては、仏壇にお参りするくらいしかできません。 3人目の母は、私が嫁いだ先の最後の母です。その母も戦争未亡人で2人の男の子がいました。私はその長男の妻となったわけです。3人目の母も2人の子供を育てるためたくさん苦労して戦後の一番厳しい世の中を歯を食いしばって頑張ってきた人です。私にはお母さんと呼べる最後の母でした。 その後、私も第二子で男の子がはじめの女の子と3歳違いで誕生しました。母は、私は今が一番幸せと孫たちをかわいがってくれおもりもしてくれました。孫たちもたくさんの愛情を受けて育ちました。その母も78歳で亡くなってしまいました。 今は、私の娘も嫁ぎ1人の孫がいます。長男も近くに住み男の子2人のパパとなっています。息子も時々仏壇に線香を上げお参りしています。私がありがとうねと声をかけると俺の家族もばあちゃんに見守ってもらいたいからと言っていました。お墓参りもひ孫達を連れて行ってますよ・・・もっと長生きをしてもらって元気なうちにひ孫達を見せたかったねと息子たちと会話しています。 こうして孫、ひ孫まで母の事が心を通して届いているなんて本当に母は達人に思いますよ・・・。 人は何かを残し、何かを受け取って次の命に繋がっていくものと私は3人の母から学びました。私を産んでくれた母さん、育ててくれた母さん、それに1番長く暮らした母さん本当に本当にありがとう。感謝しています。私には3人の母がいてとても幸せでした。 今の私は孫たちに囲まれて幸せの毎日です。 人は生まれた時から沢山の人達にお世話になりその人達に支えられて生きていけるもので、常に感謝の気持ちを持ちながら、私も3人の母たちのように次の世代にありがたく思われるよう頑張って最後まで穏やかに悔いのない人生に過ごせたら幸いです。 もうすぐ母の日がきます。私の3人のお母さん本当にありがとう・・・。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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金, 1月 18 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月17日 謝罪

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 謝罪 お母さんが旅立ってから8ヶ月が経ちましたが、どうしていますか。松たんや清さん、兄ちゃん、姉ちゃんなど元家族と一緒に賑やかで楽しい日々を送っていることでしょう。 脳出血で寝たきりになったお母さんと暮らした12年間は、私にとって生きがいに満ちた生涯で一番幸せなときでした。 ただ、お母さんにどうしても謝罪しなければならないことがあります。それは忘れもしない去年の7月14日、前夜来の高熱が心配で病院に行きましたね。あの日病院に行かず、我が家で解熱の手当をしゆっくり静養していたら、病院の過酷な治療でお母さんを苦しませずに済んだのにと悔やまれてなりません。 旅立つ前の1ヶ月余、絶食治療による体力の消耗、在宅時の水分補給の2倍を超える点滴のため、胸水は益々たまり体はぶくぶく膨張し体位交換してあげたくても胸水を抜く針や計測用の電気コードにくるまれて身動きならず、頬ずりしてあげたくても病室が狭くて手出しできず、無念でなりませんでした。 最後は逆流による肺炎まで起こして、荒っぽい吸引で痰の色も白濁から真っ赤な血の色に染まり、酸素吸入器を付けても苦しそうな息をしていましたね。また、気道確保を理由に鼻からチューブを差し込まれて、お母さんは嫌々をして鼻から吹き飛ばしたけれど、再び突っ込まれて観念せざるを得なかったんだよね。 見るに見かねて家に連れて帰ってあげようと準備したけど、在宅介護スタッフの協力が得られない上に、身内の猛反対が目に見えていたため、お母さんを見離してしまうことになりました。いつもの私なら先生と喧嘩してでも家に連れて帰ったと思うけど、猜疑心の強い先生の誤解のため今回ばかりは手足をもがれてその勇気が断たれてしまいました。お母さんにどんなに詫びても詫びきれません。 なのにお母さんは最後の最後まで、在宅中に鍛えた口周り、頬、喉の筋肉をフル活用して息をし続けましたね。そんなお母さんの頑張りに涙が込み上げてきました。悪夢の入院から救ってあげられなくて、本当にごめんね。 笑顔が素敵なお母さんの側で添い寝している私の手を、利きての右手でぎゅっと握りしめてくれたいつものあの感触は、生涯忘れることができません。 お母さんは私にとって最高の母であり、最も信頼できる無二の親友であり、恋人以上の存在でした。いつまでも私のことを忘れず、遠いお空の上から見守っていてください。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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木, 1月 17 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月16日 いつか逢えたら

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 いつか逢えたら 春になると、母と一緒に駒込の六義園や、古川庭園に花を見に行くのが楽しみでした。 仲良しだった母は、晩年、脳梗塞から認知症になり、母の人格は徐々に変わっていきました。仕事や家事と母の介護は、更年期を迎えた私の心や身体にはとても重荷でした。 母には、いつも怒ってばかりいる娘の姿は鬼のように見えたと思います。いつの頃からか、母は、何かにつけても『すんません』と口癖のように言い始めました。私は、その言葉を聞くのが嫌で、母に、『すんません』と言うかわりに、『ありがとう』と言って、と言いました。それからは、母は何をしても『ありがとう』というようになり、私は、もっと辛くなりました。 認知症の症状が進んだある日、母の部屋へ行くと母が、近所の誰かから貰ったらしい、あんこの団子にソースをかけては、美味しそうに食べていました。思わず、『美味しい?』と聞くと、『うん』と頷いていてたようでした。2人で迷路をさまよう日々が続きました。いつ終わるのかわからない母の介護に私の心は疲れきってしまいました。やがて母は、脳梗塞の再発であっけなく死んでしまいました。姉や兄たちの反対を押し切って最後まで自宅で介護をした方がよかったのではなかったのか、と介護施設に入居させたことを悔やみました。どちらの選択が母のために良かったのか今も答えが出ません。 母が逝って7年が過ぎました。母が植えた梅の木は、小さな実をつけて木漏れ日の中でゆらゆらと揺れています。 少し大人になった私は、今度母に逢えたら、優しい娘じゃなくごめんなさい。そして、もう、ありがとうはいらないからね、と言うつもりでいます。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 16 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月15日 私、生きていきます

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 私、生きていきます 『生まれてきてごめんなさい』心の病に侵された私は、そう言ってお母さんを泣かせましたね。私を産んでくれたお母さんに向かって、『何で私を産んだの?』と責め立てて、なんて親不孝な娘だったのかと、今となっては悔やむばかりです。 お母さんは、自分もがんの治療中だったのに、自分よりも私も優先し、必死で支え、看病してくれましたね。私の病状が少しは良くなってきたと思ったら、今度はお母さんのがんが再発。腸からリンパへ転移していたがんも全て手術で取ったのに、肺に転移しているのがわかった時は、『何でお母さんがこんな目にあわなくちゃいけないの』と思ったものです。 思えばお母さんの人生は、お嫁に来てからずっと我慢と苦労のし通しでしたよね。がんの発見が遅れたのだって、祖母の介護と家事とパートで手一杯で、自分の体にかまっている余裕がなかったから。祖母が亡くなってやっと介護生活から解放されたと思ったら自分のがんが発見されて、そんなお母さんの状態をわかっていながら、私は自分のことで精一杯で、何も助けてあげられませんでした。 お母さんが昏睡状態になってしまった時も、私はまだ心の病が重く、妹達に任せてばかりであまり看病できませんでした。でも、お母さんはそんな昏睡状態の中でたった1日だけパチっと目を覚まし、機関銃のようにしゃべりだしたのだと妹たちから聞きました。『今までずっと我慢してきたんだから!』と言いながら父を呼びつけこき使い、それが丸々1日続いたと思ったらまたパタッと眠りに落ちてしまったと。それで少しは気が済んだのかな?翌日、眠るように穏やかに、家族みんなに見守られながら、あなたは天に召されて行きましたね。 私の心の病はまだ完治していないけれど、随分元気になりました。お母さん、私を産んでくれてありがとう。生きているうちに伝えられなくてごめんね。私は幸せに暮らしています。今日も明日もちゃんと『生きて』いきます。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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火, 1月 15 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月14日 亡き母に宛てた手紙

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 亡き母に宛てた手紙 一通の文章から、貴方の誕生、戸籍上の兄達、そして5歳の時に養女となって正家から近くの村で育てられた事。妹には生後20日で人力車に生母と乗り、その家行ったと話していたとか、私には初耳だった。 生まれた家は料理家。養女だった祖母は、結婚できない人の子を産んだ。母である。戸籍上は養母の兄に実子として入れてもらったようだ。将来、肩身の狭い思いをさせないようにと考えた養母の親切心、否、私は見栄のための養女の跡取り娘として役目を果たすためのことだったろうと想像した。 母は7歳の時、高熱からリウマチ熱をおこし亡くなる40数年間、心臓病と戦う。私を産む時も、八年経て妹のお産には7人の医師が回りを囲む。父には、子供は諦めてほしいと言われたそうだが、父は何かあったら私が育てますと言ったとか。 母は生前、とても面倒見の良い人だった。今で言う婚活、お見合いをしてもらうこと。 近くに大学の寮があったので、学生さんの家庭教師先と、縫いもの、裾上げなど、果ては夕食を一緒にどうぞと言いながらお菓子作りをする人であった。 肉親の情にうすかったなどではなく、人と話をするのが楽しかったんだよね。人の笑顔や、人の幸福をともに喜びたかったんだよね。その優しさは、自分の厳しい生い立ちにあったのではないかな。 49歳で亡くなって31年目に一通の文書から祖父にあたる人がわかった。戸籍上は実子として入れられた家のすぐ上の兄(全く血縁のない他人)の死亡から相続問題とやらの市からの文書。 私と妹は1ヶ月間、血の涙というものを味わうことになった。母の存在を軽んじた、今は亡くなった人々への怨みである。 自分の手で育てなかった祖母、世間体だけを気にした養母。昭和のはじめとはいえ、人が人として生きるのに何が大切かわかっていた時代でもあると思う。 お母さん、私は6人の子を育てたよ。妹は娘2人を大切に育てているよ。安心していいよ。貴方から教わった子育て、人を大切にすること。出会いは宝。 私は足の手術をして左右人工股関節になったけど、あなたの心臓手術に比べたら何のことはないよ。強かったね、お母さん。私たちも気丈夫な母になる努力をするからね。 見守っててね、お願いします。ありがとう。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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月, 1月 14 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月11日 二つの生命、つながり愛

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 二つの生命、つながり愛 私にはこの世に生まれて2つの生命を授かりました。 まず一つ目は私自身の生命です。そして2つ目は、今は亡き母親の生命です。 私の母親が私を出産してすぐに亡くなりました。想像をはるかに超える出血多量が主な原因でした。 生命を懸けて、この世に私を産んで亡くなった母親の気持ちを思うと、お腹の中で毎日小さな生命を養い育て、愛を育みながら、これからの子供たちとの夢や希望を持ち、子供の成長を一番近くで見たかったと思います。 また、とても責任感が強く、真面目に働く母親と聞いていたので、仕事の事や育児や家事の事など多くの事も持ちながら、我が子を抱くことができずに離れてしまったこと、悔やみきれない思いだったと思います。女性にとって、母親になるということは自らの生命を懸けて、子供の生命をこの世に生み出すというかけがえのない大きなチカラがあることをこうした経験から学びました。 私は、もう一つの実の父親という人がどんな人か見たことがありません。 母親が亡くなったあと産まれたばかりの私と兄の2人も今後育てていくのに、困難であると私たちのもとから離れていったという話を10歳くらいの時に養父・養母から聞かされました。とても大きな衝撃でした。 亡くなった母親の姉に父親だった人がこれからのことを相談して、父親、母親としてこの後のことをお願いしたそうです。私はこのとき0歳、兄は3歳でした。 その時の、父親であった人も2人の息子を見て様々に思うこと、小さな我が子の将来を思い、考え抜いた結論だったと思います。 兄は父親がいない分まで一生懸命、兄ちゃんとしてまた父親の分まで弟の面倒を見ながら、兄弟の絆、心を育む毎日と生活がありました。 2つの生命、人生を私の心では常に感じながら家族や親戚含め、大きな支え愛があってこその今現在があり、毎日を大切に感謝しながら生きている喜びを積み重ねています。 今では社会人として毎日楽しく元気に働けること、そして夢に向かって努力ができる幸せと喜びを感じています。 亡き母へ伝えたい言葉は沢山ありますが、私は健康で幸せいっぱいに毎日を過ごすことができています。 心から感謝の気持ちをたくさん込めて、信州の大地から天に向かってありがとう! 感謝の言葉を胸いっぱいにして、毎日こうして人生を笑顔で楽しく送ることができています。 『2つの生命。温かい愛。心からありがとう』 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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金, 1月 11 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月10日 母の歳に近づいて

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 母の歳に近づいて お母さんが亡くなって今年で早20年になりますね。 胸腺腫ガンと診断されたとき、直腸ガンにより53歳の若さで亡くなったお父さんを思い出し、お母さんまでが『がん』なんてと大変ショックで涙が止まりませんでした。でも、私より悲しくて、苦しくて、悔しくて、そして辛い思いを受けたのは、『お母さん』あなた自身でしたよね。 長時間の手術を受けがんを切除したけれども切り取れないものもあったと知らされた時、私は悔しくてやりきれない気持ちで一杯でした。そして、がんの恐ろしさを思い知らされました。手術後も放射線治療、抗がん剤等を受け大変でした。末期の頃、お母さんは頻繁に痛みを訴えていました。でも私が泣き虫なのを知っていたからなのか、私の前では一度も涙を見せたことがなかったですよね。辛かったでしょうに。 その後、再発、再入院。とうとうお母さんは59歳の若さで帰らぬ人になってしまいましたね。もっと、もっと、長生きしてほしかったです。 母は13歳の時、家を出て洋裁店に住み込みで働きながら、洋裁を習いました。結婚後も家で洋服を仕立てる仕事をしながら、私達3人の子供を育ててくれました。 生地を裁断し仮縫い、本縫い、1枚の布から完成された洋服を見ると『すてき、すごいなあ』といつも思いました。 母は手先の器用な人でした。私は、不器用だったので母のようにはできないと考え、仕事も事務職に就きました。そんな私を母はどのように思ってたのでしょうか。残念ながら聞くことなく年月が過ぎ去ってしまいました。 私も26歳の時結婚し、2人の子供にも恵まれ、長女が去年の末、私と同じ26歳で入籍しました。今年の9月に結婚式を行う予定です。娘を嫁がせた母の気持ちを、私もこれから少しずつ経験していくのでしょう。 私は平成22年8月に多発性硬化症という難病になり現在戦っています。両足が動かせず車椅子とベットでの生活になってしまいました。主婦だった私の代わりに、今は主人が主婦となって私の身の回りの世話や炊事、洗濯等をやってくれています。大変ありがたく感謝しきれません。 もし、お母さんが元気で生きていたら孫の結婚した喜びや、私の病気を心配して色々とやってくれた事でしょう。『何しろ世話好きでしたものね』 強くて優しかったお母さん。私はこれからも頑張って生きていきますから、天国から見守ってくださいね。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました

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木, 1月 10 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月9日 生き別れた亡き母へ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 生き別れた亡き母へ お母さん、『私はあなたの温もりを知りません』というのも、私が物心つく前にお母さんは離婚して、私は父に引き取られたからです。間もなく父は再婚して妹も生まれました。 そんな私の幼い頃、お母さんは私に会いに来たそうですね。でも、父に追い返されて会えずに帰ったと聞きました。また、父の実家近くでいとこも私と間違えてのゆびながら駆け寄ったと聞いています。 その頃、私は継母に嫌われて虐待され、短気で暴力的な父には、些細なことで幾度となく暴力を振るわれました。そして、成長するに従い実の母に会いたい思いが募り、父には怖くて言い出せず祖母や伯母等に居所を尋ねたのですが、父を恐れてか口を閉ざして誰も教えてはくれませんでした。 それからも、一言では言えない位の困難もありましたが、優しい妻と2人の子供にも恵まれ、やっと幸せな家庭を持つことができました。そんな時でも、お母さんのことはいつも頭の隅から離れず忘れることはなかったのですが、探す手立てもなくダラダラと年月だけが過ぎ、気がつけば還暦をとうに過ぎていました。 ところが昨年、従兄弟が、『私の実の母の実家を知っている』と言ったのです。私は突然の事で驚きましたが、父も高齢で病弱な為、もう知らせても差し支えないと思ったのでしょう。私は『何としても会いたい』と思い、生きていればかなり高齢の筈なので、『急がなくては』と焦るる気持ちを抑えきれずにお母さんの実家を訪ねました。すると3年前に84歳で亡くなったと知らされ、がっかりして『あと少し早ければ』と今迄の自分の怠慢を悔やみました。 それでも、生まれてから一度も顔を見たことのない母の『せめて写真の1枚でも』とお願いしました。暫くしてお母さんが再婚して生まれた娘、つまり異父の妹から1枚の写真が送られて来ました。初めて見るお母さんは年老いて、想像していた顔とは違いましたが、感激で自然に涙があふれ出てきました。 お母さんとは、生前お互いに会える機会を逸してしまった事は本当に残念でなりません。けれども、60数年ぶりに同腹の妹がいたことが分かり幸せな気持ちです。その妹とも連絡を取り合う様になりましたので、『機が熟せば』お母さんの墓前に行き、『大分遅くなってしまったけど、やっと会いに来ました』と、そっと手を合わせ花を手向けたいと思っています。 お母さん、どうかその日が来るまで待っていてください。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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水, 1月 9 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月8日 お母ちゃんへ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 お母ちゃんへ 36年前に亡くなったお母ちゃんに、是非会ってほしい人がいる。それは、私の主人と個性豊かな2人の息子。 主人は、ちょっとお父ちゃんに似てる真面目でハンサムな人だよ。唯一、文句をつけるとしたら、私よりちょっと身長が低いことかな。それでも私と私の作品を愛してくれる。とても優しい人だよ。そういうところもお父ちゃんと似ている。 現在、大学生の2人の息子は、長男は吹奏楽を愛する文科系で教師志望。二男はラグビー好きの体育会系と、どちらの子にも子育て中に楽しい思いを沢山させてもらった。きっとお母ちゃんにも『まあまあの子育てだね』と合格点がもらえるんじゃないかな。 お父ちゃんはもう40年間やもめ暮らしで、再婚はせずに81歳になった今も1人で暮らしている。お母ちゃん以上に好きになれる人がいなかったんだって。 お父ちゃんの米寿のお祝いに、兄弟5人とその連れ合いも一緒に有馬温泉に行ったよ。お父とちゃんは『お母ちゃんも、あちこち旅行に連れてってやりたかった。昔はお金がなかったから苦労ばかりでいい思いは何もさせられなかった』としみじみお酒を飲んでいた。そんな時、『兄弟5人みんな健康で、誰1人、警察のお世話にもなった者もいないし、よかった、よかった』というのがお父ちゃんの口癖だ。お父ちゃんの米寿のお祝いに、子供の頃からの写真をスライドにしているとき、新婚当時の2人の写真を見つけた。お母ちゃんは、まだ20歳ですごく若い。これから訪れる人生の荒波も知らず、生涯の伴侶に愛される喜びにあふれて眩しいくらいだ。 42歳で亡くなったお母ちゃんの年齢を10も超えてしまって、すっかりおばあちゃんになった私だけど、お母ちゃんが私達に残してくれたものはとっても大きいものだったな…と今改めて感じてる。器量良しでもなく、うちは貧乏だったけど、いつもお父ちゃんと笑っていたね。お母ちゃんとは16年間しか親子じゃなかったけど、人にとって一番大切なものを教えてもらったよ。それは、『力いっぱい人を愛し、与えられた生命を生き切ること』これだけはお母ちゃんが10年間の闘病生活で私達残してくれた財産だね。 5人で分けて5分の1になる遺産じゃない。兄弟5人で5倍になるかけがえのない財産。今度は私達の子供に生まれ変わりたいと言っていたお母ちゃん。息子たちにもお母ちゃんが教えてくれた事を伝えていくよ。本当にありがとうね。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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火, 1月 8 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月7日 母へ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 母へ あれから20年ほど経ちますが、今も見守ってくれていますか? 亡くなって数年は寂しくて、朝泣いて目が覚めたこともあったよ。まさか今、こうして手紙を書く事なんて思いもしなかったけど改めて伝えます。お母さんはいなくなってからも私の中で存在して助けてくれました。 ずっと上から見ていたと思うから知っているだろうけど、はっきり言ってお母さんがいなくなってからの自分の人生はより最悪だった。 お父さんは糸が切れたように働かなくなり、小学校でのいじめは酷くなって、おばあちゃんも葬式以来家に来なくなった。小学校の卒業式はお父さんは家に引きこもって来てくれなかった。式では学年の皆に笑いものにされて寂しかった。中学に上がった頃には完全な不登校になって1人、部屋の中で本当に孤独になったよ。 どうして自分だけ人と話せないんだろう、こんか病気は自分だけで一生治らないのかな。勉強が自分だけ遅れてきっと高校にも入れない。お父さんは働いてないけど家賃滞納してどうやって暮らしていくんだろう…。不安で押し潰されそうだった。お母さんはちゃんと、娘を頼みますってお願いしていったのにね。お父さん、きっと心が折れちゃったんだね。 あの時、心から、死んだらどんなに楽だろうって思った。すべての悩み、辛さから解放されたかった。自分をいじめた皆にあてつけて死んでやろうとも思った!何日も何日もそんなこと考えて暮らしていた。 でも出来なかった。自分はなぜこの世に生まれたんだろうって考えているうちに、お母さんがいつも優しい顔を私に向けて笑ってくれた事を思い出したよ。私が今ここで死んだりしたら、お母さんはどう思うだろう。とても悲しむ。あんな優しいお母さんが、生きて私を生んでくれたことも消えてなくなってしまう。そんなこと出来ない。 それに、虐めた人だって何も思わないだろう。死に損だ、そんなの悔しい!そう思ったんだよ。 それからもしばらく大変な人生が続いたけど、死ぬことだけは考えなかったよ。そうしてそれが今の家族3人の生活に結びついている。人生って不思議だね、そして奇跡だね、お母さんが生んでくれたことも。 これから先の人生、また辛いことがあってもお母さんの事を思い出して前を向いて生きていくよ。いつもありがとう。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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月, 1月 7 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

1月4日 母へ、もう少し話がしたかった

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。 今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。 母へ、もう少し話がしたかった あちらの世界では、この世で味わった悲しみや苦労を取り戻していますか? あなたが生き抜いた時代は、激動の時代でしたね。昭和最大の悲劇である日米決戦の最中は青春時代。米軍の戦闘機に機銃を浴びせられ、長女として守ろうとした本家も油を撒かれ焼夷弾で跡形もなく焼き尽くされた。その後、家を手に入れるためにお金と引き換えの犠牲的な結婚生活。つらく悲しい日々だったことでしょう。 その生活も終わり、娘を連れての再婚。そして私を生んでくれた。再婚相手の我が父親は最悪で、他の女と消える。何で私だけ?自らの不幸を恨みましたか? 我ら子供は、あなたの努力のお陰で、立派に育つことができました。私は、あなたが望んだ、技術者の道を歩みました。仕事が多忙すぎて、あなたと満足に話もできなかったことを悔やんでいます。 我々の生活は豊かになり、あなたは好きな事をして、不自由なく生活を楽しんでいると思っていました。しかし、父親の異なる姉が、母親に金をせびっていたのですね。我々の多少豊かになた生活を妬んでいたのか、母親からむしり取ったお金は、遊戯費に。ある日、お金が足りないというあなたに、家計簿をつけろと突き放しました。その時あなたは、腐っても可愛い娘を支援し続け、蓄えをかなり失っていたのでした。 追い込まれたあなたはある決意をしたのでしょうか。初夏の日別れの言葉も無く、私の留守中に旅立ってしまいました。残業から帰った私は抜け殻と化したあなたの姿を見つけて驚くほど冷静に、救急に通報。警察に犯人扱いされ、鑑識に脳内出血との告知がされるまで悲しむ暇もありませんでした。その後、あなたの身辺整理をしていて、あなたが自殺をしたことを知ってしまいました。 高血圧で薬を飲み続けていたあなたが、この薬を2ヶ月間飲むのをやめていましたね。それはあなたが生きる事を諦めたことを示していたのですね。最後の最後までお金の心配をし、この世を去るほどまで追い込まれるなんて、これ以上の悲劇はないと涙が止まりません。 その原因を生んだあなたの娘は残念ながら何食わぬ顔して極道非道な人生を歩んでいます。でも、あなたは、娘を悪く言うなと言うのでしょうね。 あなたの壮絶な人生を私は誇りに思います。もう少し話がしたかった。残念で無念としか言い様がないです。 早いもので、今年は23回忌の法要です。忘れていません。ご安心ください。どうぞ安らかに。 家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

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金, 1月 4 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より » No Comments

新春の訪れをお慶び申し上げます

新春の訪れをお慶び申し上げます 昨年も、オフィスシオンFMしきたりアカデミーを、 ラジオ(ならどっとFM 78.4MHz)やホームページ、Twitter(@sikitarision)などで 聞いてくださり応援してくださり有難うございます。 温故知新、葬送文化の発展と向上を目指し、 終活に向けて皆様が明るく活き活きと日々を営めますよう・・・ 葬儀業界に新風を吹き込むべく尽力して参る所存です。 旧年中の御愛顧に感謝申し上げ、 本年も何卒ご指導賜りますよう、お願い申し上げます。 さて、今年の1月4日から始まりました新シリーズは、 「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。毎日一話ずつご紹介していきます。 今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは無縁社会と言われるようになった今日、 そうした側面をクローズアップするのではなく、人と人との温かいつながりや、 人の優しい心の奥の人に伝えていこうとの思いから一昨年スタートしました。 昨年の第2回目からはこの趣旨に共感した全国の葬儀社が実行委員会を訂正して プロジェクトを推進し、私ども、オフィスシオンも参画させて頂き、応援しております。 第3回目となる今週の募集では、二千通を超える応募をいただきました。 そのたくさんの手紙の中から選考委員三名と実行委員会が金賞一編、銀賞五編、 銅賞十編のほか、今回は特別賞として、東日本大震災関連特別賞十二編を選定。 佳作八十八編と合わせて百十六編を収録しました。 収録したお手紙は暖かな心にあふれているだけでなく、大切な人を亡くされされて 悲しみに陥りながらも、その悲しみを乗り越えて再び前向きに生きようとするものが 多くなっています。大切な人無くされた方が本書を手に取られることにより 喪失の悲しみから立ち直るきっかけとなることを心から願っております。

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水, 1月 2 2013 » 管理者「はる」より » No Comments