家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

11月21日 日本墳墓史14

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオン
が、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

江戸時代(1603~1867)

石造墓塔は鎌倉時代から作られ、近世に入っても引き続き造立された上、江戸時代末期にまで及んでいる。ところがこれと並行して、江戸時代初期から、墓塔に新しい形態が取り入れられるようになる。それは尖頭型と角碑型(四角柱状)とで、尖頭型のものは、頭部が山形をしている。角石塔では頭部に位牌形といってよい屋根のついたものもある。こうした形は位碑の影響を受けたものと考えられ、元禄時代を境にしてあらたに建立されるものの多くは方柱式である。この石塔に、戒名、没年月日、年齢、氏名などを彫ったり、「先祖代々之墓」とする場合なども少なくないが、本来塔は死者の霊が宿るものと見倣されていたのである。宗派や地方によっても異なり、浄土真宗のさかんな北陸地方では、表面に「南無阿弥陀仏」とのみしるし、側面に故人の姓名をしるすことが普通であった。

一方、中世末から近世にかけ、貴族や大名、城主などのための大きい五輪塔が多く造立されている。こうした五輪塔や宝篋印塔も、わずかながら依然として造立されている。これらの五輪塔には、前代と同じくその内部に火葬骨を埋納したものもあるが、多くは基壇下に埋葬施設が設けられている。石造が普通である。

江戸時代は檀家と寺院との関係が確立し、寺院の境内に墓が営まれた。東京の自證院は1640年に造営されたが、改葬のさいの調査で、遺体は甕棺に納められたものが多く、甕は常滑焼きの大甕であった。木棺の場合には座棺と寝棺で、ほとんどが座棺であった。

土葬の場合に最も普通には木棺に遺体を納めこれを埋葬したものである。また火葬も広く行なわれ、火葬した人骨を蔵骨器や布袋に納めて埋葬したり、単に火葬骨のみを埋めたものもある。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

月, 11月 21 2011 » 日本墳墓史

コメントをどうぞ