家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月22日 日本墳墓史15

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

徳川将軍の墓

1958年、東京の増上寺の徳川将軍の改葬に伴い、大規模な調査が行なわれた。そこに埋葬されていたのは、二代将軍徳川秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重などである。将軍墓の墓標は、家宣の銅製宝塔のほか、家継・家重・家慶・家茂等の石製宝塔である。

徳川家墳墓の場合には、宝塔を墓標とし、その下に石室が設けられている。石室には、将軍は銅棺と木棺を、夫人・子女の場合には木棺が用いられている。将軍墓の宝塔は、家継のものは3mを超え、石室の大きさは1辺2m、深さ2mであつた。将軍たちの石室は、夫人墓及び子女墓のものに比べ堅牢で大きく、将軍墓にのみ銅棺の中に木棺を収め頑丈のものであった。

これらの墓には、将軍の場合、官職名・生年月日・在位期間・薨去年月日・没年齢・勅旨贈位・賜諡号が刻まれていた。

伊達政宗(1636没)の霊廟・瑞鳳殿の地下遺構の調査によると、主体部は石室で、内部の大きさは1.8m、1.2m、深さ1.45mであつた。この政宗の墳墓は、近世初頭の大名墓の構造を知るうえで重要であり、本格的な近世石室墓のはしりと考えられる。

東京都渋谷区に日蓮宗の寺院で仙寿院がある。1644年立てられたものであるが、道路計画のため、改葬された。その対象となった面積は1,800平方mで、墓標400基、遺体約2,200体、うち土葬が7割であった。このなかに紀州徳川家関係の墓が9基あり、墓標の下には石の蓋がしてあり、遺体を納めた箱の上には、銅板の墓誌が納められていた。

副葬品には、孝晴院の墓所から、青銅の手鏡、鼈甲の櫛、洋銀のかんざし、瀬戸物の水さしなどが発見された。他につげの櫛、皮の袋などがあった。遺体の回りには、湿気よけのための木炭が入れてあり、棺には錠前がかけられていた。(河越逸行『掘り出された江戸時代』雄山閣)

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

火, 11月 22 2011 » 日本墳墓史

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