家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月24日 日本墳墓史16

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

四六士の墓

徳川五代将軍綱吉の時代、1702年12月14日、赤穂の義士たちが吉良家に討ち入り、討ち入りのあと大石良雄らは、吉良の首を持って泉岳寺の主君の墓に報告に訪れている。翌年2月2日義士全員が切腹して泉岳寺内の旧主の墓側に葬られた。初七日には先君の後室である瑶泉院が施主となって法要が行なわれた。そこには浅野内匠頭の忠臣誰々という肩書きをした石碑を立てるはずであったが、寺社奉行がこれを禁じて、単に家来と書いて立てるようになった。それから三回忌には46人が埋められている墓の中央に、石の地蔵様が立てられた。その台石には冥福を祈ることが記されている。なおご存じのように彼らの戒名はすべて、刃と劔の文字が入っている。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

木, 11月 24 2011 » 日本墳墓史

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