家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月25日 日本墳墓史17

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

遊女の墓

吉原の遊廓では、1750年以後、だいたい2~3千人の遊女をかかえ、年間70人死亡している。いつたん死亡すると夜中に廓より逆さづりにして運び出され、浄閑寺、西方寺あるいは大音寺に運ばれる。これを吉原の西と東と南の3カ所の投げ込み寺といっていい、この投込み寺に、無緑仏として投げすてられた。浄閑寺墓地中央にある「新吉原総霊塔」には2万数千人の遊女が葬られている。台座には「生まれては苦界死しては浄閑寺」と刻まれている。

新宿の遊廓では、北町の成覚寺が投げ込み寺に当たり、1年平均15人葬むられ、明和9年から大正12年に至る152年間に2,200人が投げ込まれている。山門をくぐって左手に「子供合埋碑」があるが、「子供」とは遊女のことである。(葛岡敏『ドン底より』)

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

金, 11月 25 2011 » 日本墳墓史

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