家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月30日 日本墳墓史20

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

現代

明治5年に法律によって自葬祭が禁止され、葬儀はすベて神主・僧侶によるベきことになった。明治3年に寺院墓地はすベて国有地となつていたので、排仏段釈による神葬祭観念が離檀思想をおしすすめ、神葬祭地として明治5年に東京市営基地として青山・谷中・雑司ケ谷・染井の各墓地が開設された。市営墓地は、はじめは神葬墓地として出立したが、火葬を否定する神葬墓地は実情にあわなくなり、やがて共葬墓地としての性格を帯びた。明治22年に、市街地に散在する墓地の移転方針が提案され、明治36年に、寺院の境内墓地を移転改葬した場合には、その跡地を無償下付する旨が告示されて改葬を奨励した。

大規模な寺院墓地の移葬は、大正12年9月の関東大震災の復興作業に伴つて行なわれた。こうした状況のなかで、多磨基地は、大正12年4月に開設された。東京都営の多磨墓地は日本初の公園墓地で、都心から西へ約29キロの地に面積133ヘクタールを占め、その4割が葬地で、残リは通路、庭園緑地になっている。ここには軍人の東郷平八郎、作家の永井荷風、夏目漱石などの墓があり、その総数6万2000基といわれる。この種の公園墓地はその後各地で続いて作られるようになり、昭和10年6月4日には松戸市に八柱霊園が開設された。しかし年ごとに膨張し続ける大都市にあっては、墓不足の実情を解消する対策をうつことは困難で、今日ますますそれが問題化している。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

水, 11月 30 2011 » 日本墳墓史

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