家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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12月1日 仏式葬儀の起源1

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回からの新シリーズは、「仏式葬儀の起源」

現在、日本の葬儀の9割以上が仏式であるといわれるが、仏式葬儀の形式のルーツはどこにあるのでしょうか。日本で現在行われている仏教葬儀で見られる慣習のルーツは、釈尊の涅槃直前の様子や釈尊の葬儀などを起源としているものといわれるので、それを見ていくことにします。釈尊は長い伝道生活のあと、老年を迎えて身体の衰えを隠せなくなった。自分の死期を感じ、南方のマガダ国から数百人の弟子を連れて北方に向かって最後の旅に出ました。旅を続けて約半年後に、釈尊はクシナガラで死を迎えました。時に80歳でした。

釈尊の父の葬儀

釈尊が68歳の年、ヴェーサーリの大林精舎で雨期を過ごしていた。そこに釈尊の生まれたカビラ城から使者が来た。釈尊の父である浄飯王が自らの死期を予知し、息子に会いたいという知らせであった。釈尊は浄飯王の病いの知らせを受けると、弟子たちを伴いカビラ城へと出発した。

釈尊は王を見舞い、宮中の人々に仏法を説いた。釈尊がカビラ城に着いてから7日目に王は息を引き取った。王が崩御されると、釈尊は重臣たちと葬儀の準備を進めた。たくさんの香料を溶かした汁で王のからだを洗い、きれいに拭きとったあと、絹の布で全身を覆い棺に納めた。7つの宝石で遺体を荘厳したあと、棺を台座の上に安置し、真珠で編んだ網を垂れめぐらした。そのあと華を四方に散らし、香をたいて死者を供養した。

棺を葬場に送る際、釈尊は親の恩義に報いるために自ら棺をかついだ。釈尊の弟、子供、従弟も棺をかついだ。親に対する最後の孝行は、その遺体を最後まで守ることだろう。この棺をかついだ4人は、浄飯王の子供、甥、孫にあたる。日本の葬儀において、故人の実子、兄弟、孫と言った血縁の者が棺をかつぐ習慣がある。これは釈尊を始めとする因縁の深い人々が、浄飯王の棺を擔いで葬儀を営んだことに由来している。なおそのあと火葬に附しているが、これはインドの伝統的な葬法である。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

木, 12月 1 2011 » 仏式葬儀の起源

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