家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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12月7日 仏式葬儀の起源5

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「仏式葬儀の起源」

現在、日本の葬儀の9割以上が仏式であるといわれるが、仏式葬儀の形式のルーツはどこにあるのでしょうか。日本で現在行われている仏教葬儀で見られる慣習のルーツは、釈尊の涅槃直前の様子や釈尊の葬儀などを起源としているものといわれるので、それを見ていくことにします。釈尊は長い伝道生活のあと、老年を迎えて身体の衰えを隠せなくなった。自分の死期を感じ、南方のマガダ国から数百人の弟子を連れて北方に向かって最後の旅に出ました。旅を続けて約半年後に、釈尊はクシナガラで死を迎えました。時に80歳でした。

釈尊の死の告知

死の告知は、死が前もって知らされていなければならない。現代は医療の発達があって病名がはっきりしていれば、その経過もだいたい予測できる。仏教は真実を追及する教えであるため、死に直面することもいとわない。釈尊の場合、自分の死ぬ時期を告白した最初の相手は悪魔であった。悪魔は釈尊に向かい、あなたはすでに地上での役割を果たし、弟子たちもあなたの教えを守っていきますので、いまこそ涅槃に入ってくださいとお願いする。それに対して釈尊は「悪魔よあせるな。私はあと3カ月したら涅槃に入る」と。これを聞いて、悪魔が喜んだことはいうまでもない。

釈尊最後の食事とお斎(おとき)

釈尊はマツラ族の住むパーヴァーに行って法話をした。法話は大変感動的なもので、これを聞いた鍛冶工のチュンダはお礼として釈尊を食事に招いた。食事は大変に豪華なものであり、かつめずらしいものであった。そしてなかに釈尊にしか消化できない料理が出てきた。そこで釈尊は弟子にそれを食べるなといい、自分だけはそれを口にした。そのあと釈尊はこの食事にあたり、死ぬほどの苦痛を生じた。この釈尊が食べた料理は謎とされているが、きのこ料理の一種であるといわれている。なおこの食事をささげたチュンダは、大変に後悔したが、釈尊はチュンダを許している。

さて法事の食事を普通「お斎(おとき)」という。インドで時食と非時食という言葉があり、時食は僧侶が食事をする時間であり、非時食は僧侶が食事をしてはいけない時間を指した。これが日本にも伝わり、時食が斎(とき)という言葉にかわっていったものと思われる。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

水, 12月 7 2011 » 仏式葬儀の起源

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