家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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12月9日 仏式葬儀の起源7

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「仏式葬儀の起源」

現在、日本の葬儀の9割以上が仏式であるといわれるが、仏式葬儀の形式のルーツはどこにあるのでしょうか。日本で現在行われている仏教葬儀で見られる慣習のルーツは、釈尊の涅槃直前の様子や釈尊の葬儀などを起源としているものといわれるので、それを見ていくことにします。釈尊は長い伝道生活のあと、老年を迎えて身体の衰えを隠せなくなった。自分の死期を感じ、南方のマガダ国から数百人の弟子を連れて北方に向かって最後の旅に出ました。旅を続けて約半年後に、釈尊はクシナガラで死を迎えました。時に80歳でした。

釈尊の死装束

仏式の葬儀では普通、納棺されるときに白の経かたびらを着る。これは巡礼の際に着る装束で、巡礼の途中に道で倒れるとその衣装のまま火葬にされた。さて釈尊の場合、マツラ族のプックサという人から、金色の衣装を贈られた。弟子の阿難はこれを釈尊に着させた。ビルマなどにある寝釈迦像の衣装が金色になっているのも、プックサから贈られた金色の衣装を着ているからである。この衣装はそのまま釈尊の死装束となったわけである。

沙羅双樹と紙華花の起源

釈尊は多くの修行僧と一緒に、クシナガラにむかって進んだ。クシナガラの入口にバツダイ河があり、その辺までたどり着いたが一歩も動けなくなってしまった。バツダイ河の東側の堤一体は、沙羅双樹の林となっており、釈尊はこの林の中で休みたいと言われた。

阿難は沙羅双樹の林の中に石の台を見つけたので、ここに釈尊に休んでいただいた。そのとき沙羅双樹が一面に花開き、空からは白檀の花が降り注いだ。

釈尊の涅槃の模様を描いた図では、横になっている釈尊の四方を大きな樹木が、4本あるいは8本描かれている。これが沙羅双樹である。根元が1本で途中から2本に分かれて描かれている。日本の葬儀には、この紙華花を用いる習慣が全国で見られる。これは、釈尊が沙羅双樹の木に囲まれて亡くなられたことから、一般の人の葬儀にも象徴として使っている。白い華にするのは、釈尊が横になったとき、沙羅双樹が白い花を咲かせて供養したことに由来している。ただし日本では、土葬のときに埋葬した土地の四隅にこれを置くことがあったから、魔避けなどの呪術的な用い方をしたことも考えられる。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

金, 12月 9 2011 » 仏式葬儀の起源

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