家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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12月14日 仏式葬儀の起源10

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「仏式葬儀の起源」

現在、日本の葬儀の9割以上が仏式であるといわれるが、仏式葬儀の形式のルーツはどこにあるのでしょうか。日本で現在行われている仏教葬儀で見られる慣習のルーツは、釈尊の涅槃直前の様子や釈尊の葬儀などを起源としているものといわれるので、それを見ていくことにします。釈尊は長い伝道生活のあと、老年を迎えて身体の衰えを隠せなくなった。自分の死期を感じ、南方のマガダ国から数百人の弟子を連れて北方に向かって最後の旅に出ました。旅を続けて約半年後に、釈尊はクシナガラで死を迎えました。時に80歳でした。

死の供養

阿難は早朝にマツラ族の集会場に行って、釈尊の死を告げた。これを聞いた人たちは悲しんで泣き、地面に倒れた者もあった。

そこでマツラ族は従僕たちに「町にある香と花輪と楽器をすべて集めよ」と命じた。これを聞いた人々は、出来るだけ多くのお香と花輪と楽器と布地をもって、釈尊のいる沙羅樹の林に向かった。布でいくつもの傘を作り、幕を幾重にも張りめぐらした。そして釈尊を音楽と花輪と香で供養した。このようにしてその日は過ぎた。

その日の夜、族長たちは阿難尊者に、釈尊のために7日間の供養を申し出た。阿難尊者から了解を得ると、マツラ族は翌日も同じように音楽で釈尊を供養した。こうして7日目に火葬をする日を迎えた。その日の昼、マツラ族は釈尊の遺体を音楽で供養しながら、南の町まで運んだ。人々は町を掃除し、道に浄水をそそいで到着を待った。そして遺体を乗せた御輿が城内に入ったとき、天からは華が雨のように降り、遺体のあとに多くの人々が従った。

釈尊の葬列

8人のマツラ族の指導者は頭から水をかぶって体を清め、新しい衣装をつけて釈尊の遺体をかついだ。しかし遺体がびくとも動かない。これは遺体を南に運ぼうとしたからである。そこで彼らは北の門を通って町の北に運び、北門から町の中央に向かい、そこから左に曲がって東門から外に出た。町を出て、川を渡って宝冠寺に至り、その堂に御輿を降ろした。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

水, 12月 14 2011 » 仏式葬儀の起源

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