家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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12月27日 日本人の死生観2

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本人の死生観」

日本には昔から伝統として死生観という大袈裟なものではないとしても、それに類するものが、寺院、寺小屋などで教えられたものと思います。死の問題は、いかに生きていくかという問題と大きな関係がありますが、今回は新年にあたり、日本人の死生観を大急ぎで見ていきたいと思います。

はじめに宗教者の立場からの死生観を、次に歌人や儒教・国学者の考えを、最後に現代に生きる人たちの死生観を見ていきたいと思います。

◆法然 (1133~1212)–浄土宗開祖

ある弟子が尋ねた、

「このたびは本当に往生なされてしまうのでしょうか」と。

法然は答えた、

「自分はもと極楽にいたものであるから、こんどはきっとそこへ帰る」 と。

法然にとって極楽とは、帰るべき故郷であったのである。

◆親鸞 (1173~1262)–浄土真宗の開祖

自分はわるい人間であるから、如来のお迎えをうけられるはずはないなどと、思ってはならない。凡夫はもともと煩悩をそなえているのだから、わるいにきまっていると思うがよろしい。また、自分は心がただしいから、住生できるはずだと、思ってもならない。自力のはからいでは、真実の浄土に往生できるのではない。

◆明恵 (1173~1232)–華厳宗の僧

「われ如来の本意を得て、解説の門に入ることができた、汝等も如来の禁戒を保ち、その本意を得て、来世共に仏前で再会せん」

(弟子への訓戒)

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

火, 12月 27 2011 » 日本人の死生観

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