家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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12月29日 日本人の死生観4

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本人の死生観」

日本には昔から伝統として死生観という大袈裟なものではないとしても、それに類するものが、寺院、寺小屋などで教えられたものと思います。死の問題は、いかに生きていくかという問題と大きな関係がありますが、今回は新年にあたり、日本人の死生観を大急ぎで見ていきたいと思います。

はじめに宗教者の立場からの死生観を、次に歌人や儒教・国学者の考えを、最後に現代に生きる人たちの死生観を見ていきたいと思います。

◆一休 (1394~1481)–臨済宗の僧

「そもそもいづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。それを五色の皮につゝみてもてあつかふほどこそ、男女の色もあれ。いきたえ、身の皮破れぬればその色もなし。上下のすがたもわかず。……貴きも賎しきも、老いたるも若きも、更に変りなし。たゞ一大事因縁を悟るときは、不生不滅の理を知るなり」

『骸骨』

◆蓮如 (1415~1499)–浄土真宗中興の祖

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。

…我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。

されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。

…されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすベきものなり。あなかしこ、あなかしこ」

『白骨の文』

◆沢庵 (1573~1645)–臨済宗の僧

全身を後の山にうずめて、只士をおおうて去れ。経を読むことなかれ。斎を設くることなかれ。道俗の弔賻(おくりもの)を受くることなかれ。衆僧、衣を着、飯を喫し、平日のごとくせよ。塔を建て、像を安置することなかれ。謚号を求むることなかれ。木牌を本山祖堂に納むることなかれ。年譜行状を作ることなかれ。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

木, 12月 29 2011 » 日本人の死生観

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