家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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5月21日金曜日 野口英世

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、
家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

 

本日のテーマは、「今日のご冥福」。

歴史上の人物で本日のご命日の方を偲び功績をご紹介します。

 

野口英世(のぐち ひでよ、明治9年(1876年)119昭和3年(1928年)521日)

 


日本の細菌学者である野口英世博士は、2004年から千円札の肖像としてもおなじみです。

1876年、福島県の貧しい農家に生まれましたが、幼い頃囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負ってしまい、指がくっついてしまうという障害がのこりました。手の障害を馬鹿にされたりもして不登校になったこともありました。

 


高等小学校4年のとき、左手の障害に傷つき、苦悩の日々を送ってきたことを綴った作文を担任の小林先生が読み上げました。何とかしてあげたいと考えた小林先生や同級生は、左手の手術費用を集めるため募金を募り、手術を受けることができました。そして、充分ではありませんが、指が使えるようにもなりました。この手術がきっかけで医師にあこがれ、医学の道を目指すことになりました。

 


そして当時は、医師になるには帝国大学の医学部を卒業するか、医師資格試験に合格するかしかありませんでしたが、医学部進学には経済的な事情もあるため、英世は資格試験に挑戦します。当時は通常7年かかると言われていたものの、わずか1年足らずで合格しました。

 


その後は、伝染病研究所の所長・北里柴三郎に語学力をかわれ助手をしていましたが、アメリカからジョンズ・ホプキンス大学のフレキスナー教授が訪問した際に接待をしたことをきっかけに、アメリカ行きの夢をふくらませ、24歳の時、渡米をしました。

 


アメリカでは、梅毒の病原体スピロヘータの純粋培養に成功し、ノーベル賞の候補にも名前が挙がりました。

1918年、南米のエクアドルで黄熱病の病原体を発見したと発表し、それを証明するために1928年アフリカのガーナのアクラに出張し研究を進めようとしましたが、現地で黄熱病にかかってしまい、51歳でその人生に幕を閉じました。

 

次回のテーマは、最期の言葉です。


家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいた

金, 5月 21 2010 » 今日のご冥福

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