家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

5月28日金曜日 斉藤道三

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、
家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

 

本日のテーマは、「今日のご冥福」。

歴史上の人物で本日のご命日の方を偲び功績をご紹介します。

 

斉藤道三(生年不明~1556528日)

 

美濃の戦国大名であり、美濃の蝮と恐れられた梟雄(きょうゆう)・斎藤道三。

僧侶から油商人となり下克上を繰り返し戦国大名にまで上り詰めた人物だと知られていますが、昭和40年代に発見された古文書「六角承禎条書写」により、斎藤道三の国盗り物語は父の長井新左衛門尉と親子二代で行った説が有力視され、定着しつつあります。

いずれにしても素性がよく分からない人物でもあるため、かつて知られていた道三像をご紹介いたします。

 


1500
年前後に生まれた道三は11歳で京都妙覚寺で僧侶となりました。

その後、還俗して松波庄五郎と名乗り油問屋の娘と結婚し油商人となりました。

行商をしているとき、かつての法弟である日運に再会し、彼の縁故で土岐氏小守護代の長井長弘の家臣となりました。

庄五郎は西村勘九郎正利と名をあらため次第に頭角をあらわします。

そして、土岐守護の次男である土岐頼芸の家督相続に力を貸し信頼を得ますが、仕えていた長井長弘を殺害し長井氏の家名を乗っ取り、次には守護代斎藤氏の名跡を継ぎ斎藤利政を名乗り、ついには下克上により頼芸を追放し美濃国主となったとされています。

 


晩年は娘の濃姫を織田信長に嫁がせて同盟を結び、自らは剃髪して入道し道三とあらため家督を義龍へ譲りました。

しかし、次第に義龍と不和となり、ついには義龍は道三に対して挙兵し、1556528日、長良川河畔で義龍軍に敗れ、謀略の限りをつくし下克上でのし上がった道三も最後は、我が子に下克上で討たれてしまいました。享年63でした。

 


時世は「捨ててだにこの世のほかはなき物をいづくかつひのすみかなりけん」

 

 

/>次回のテーマは、最期の言葉です。


家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。


 

金, 5月 28 2010 » 今日のご冥福

コメントをどうぞ