家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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6月18日金曜日 豪姫

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

 

本日のテーマは、「今日のご冥福」。

歴史上の人物で本日のご命日の方を偲び功績をご紹介します。

 

豪姫(ごうひめ)(1574-1634618日)

 

備前の戦国大名・宇喜多秀家の正室の豪姫。

1574年、前田利家の四女として尾張で誕生しましたが、幼少の頃に、子宝に恵まれなかった羽柴秀吉と北政所の養女に出されます。豪姫は養子として、秀吉や北政所に寵愛されたといわれ、秀吉が豪姫に宛てた手紙も現存しています。

 


そして、1588年(天正16年)15歳で秀吉の甥である宇喜多秀家の正室として嫁ぎ、二男二女に恵まれました。

1600年(慶長5年)、宇喜田秀家が関ヶ原の戦いで西軍について敗れたため、宇喜多氏は改易となりました。

秀家は死亡偽装工作を行うなどしながら島津氏に匿われ薩摩に潜伏していました。しかし、島津氏が徳川家康に降ったことにより、秀家は助命を条件に徳川方に引き渡され息子2人と共に八丈島に流罪とされます。

そして、豪姫は娘と共に兄の前田利長のもとへ戻されました。

その後は一時キリシタンとなりますが、当主である前田利常にキリシタンであるなら八丈島の秀家や子供達への援助を打ち切ると迫られ棄教しました。

 

関が原後は、賊将の妻として見られる中でも宇喜多家の女性として生き、1634618日、61歳でこの世をさりました。葬儀も宇喜多氏の菩提寺である浄土宗大蓮寺で行われました。

 

八丈島・大賀郷の南原海岸には、秀家と豪姫の石像が建てられています。

 

次回のテーマは、最期の言葉です。


家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

 

金, 6月 18 2010 » 今日のご冥福

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