家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

1月24日 被爆した母へ

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。

被爆した母へ

お母さん、昭和20年の8月6日の朝に広島市内に原爆が落とされましたね。その時お母さんは、爆心地に近い実家の廊下で新聞を読んでいて、僕は隣の女の子と風呂場で遊んでいたそうですね。お母さんはガラスの割れた部分から僕を助け出し、横川方面に逃げたそうですね。

僕は顔が腫れ、下顎が突き出て人相が変わり、耳の辺りを除いて髪の毛はなくなり、赤い斑点が体中にできていて、熱が出ると助からないと言われたようですね。
一方お母さんは、左肘と顎に小さな傷がある以外は大した外傷もなく、わりと元気だったようですね。
ところがだんだん肘の傷が広がり、ウジかわわいてハエが飛び交いはじめ、真っ赤な血便も出るようになったらしいですね。診てもらう医者もいないので治療を受けられず、次第に体が消耗していて、だんだん息苦しくなるのよと訴えるようになったみたいですね。
やがてお母さんは死期を知ったのか、胸の上で両手を合わせて息子のことよろしく頼みますと涙ながらにみんなにお願いしていたようですが、生き地獄だったのよという言葉を残して、9月17日に24歳の若さで亡くなってしまったんですね。

僕の成長を楽しみにしながら、一発の原発によって命を断ち切られ、悔しかったでしょうね。まだ3歳であった僕は残念ながらお母さんについては何の記憶もありませんが、お母さんのお姉さんから聞いた事柄や、新婚当時のお父さんとお母さんが銀座を楽しそうに並んで歩いている写真を見たりして、精一杯生きたお母さんの生前の様子を思い浮かべています。

原爆が投下されて地獄のようになった中を、自らの命をなげうってまでも、僕を助けてくれてありがとう。おかげで良き妻や子や孫に恵まれて充実した70歳を迎えています。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

木, 1月 24 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より

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