家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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1月14日 亡き母に宛てた手紙

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。

今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。

亡き母に宛てた手紙

一通の文章から、貴方の誕生、戸籍上の兄達、そして5歳の時に養女となって正家から近くの村で育てられた事。妹には生後20日で人力車に生母と乗り、その家行ったと話していたとか、私には初耳だった。
生まれた家は料理家。養女だった祖母は、結婚できない人の子を産んだ。母である。戸籍上は養母の兄に実子として入れてもらったようだ。将来、肩身の狭い思いをさせないようにと考えた養母の親切心、否、私は見栄のための養女の跡取り娘として役目を果たすためのことだったろうと想像した。
母は7歳の時、高熱からリウマチ熱をおこし亡くなる40数年間、心臓病と戦う。私を産む時も、八年経て妹のお産には7人の医師が回りを囲む。父には、子供は諦めてほしいと言われたそうだが、父は何かあったら私が育てますと言ったとか。
母は生前、とても面倒見の良い人だった。今で言う婚活、お見合いをしてもらうこと。
近くに大学の寮があったので、学生さんの家庭教師先と、縫いもの、裾上げなど、果ては夕食を一緒にどうぞと言いながらお菓子作りをする人であった。
肉親の情にうすかったなどではなく、人と話をするのが楽しかったんだよね。人の笑顔や、人の幸福をともに喜びたかったんだよね。その優しさは、自分の厳しい生い立ちにあったのではないかな。
49歳で亡くなって31年目に一通の文書から祖父にあたる人がわかった。戸籍上は実子として入れられた家のすぐ上の兄(全く血縁のない他人)の死亡から相続問題とやらの市からの文書。
私と妹は1ヶ月間、血の涙というものを味わうことになった。母の存在を軽んじた、今は亡くなった人々への怨みである。
自分の手で育てなかった祖母、世間体だけを気にした養母。昭和のはじめとはいえ、人が人として生きるのに何が大切かわかっていた時代でもあると思う。
お母さん、私は6人の子を育てたよ。妹は娘2人を大切に育てているよ。安心していいよ。貴方から教わった子育て、人を大切にすること。出会いは宝。
私は足の手術をして左右人工股関節になったけど、あなたの心臓手術に比べたら何のことはないよ。強かったね、お母さん。私たちも気丈夫な母になる努力をするからね。
見守っててね、お願いします。ありがとう。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

月, 1月 14 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より

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