家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

葬儀や死の専門情報を通じて、そこに向かいより良い人生を歩めるように、少しでもお役に立てれば幸いです。

2月7日 天国のお父さんへ・・・ありがとう

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」です。今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクトは人と人の温かいつながりや、人の優しい心を多くの人に伝えていこうとの思いからスタートしました。全国から寄せられたたくさんのお手紙の中から、毎日1話ずつご紹介していきます。

天国のお父さんへ・・・ありがとう

お父さんが亡くなって3年が経ちました。亡くなったのが89歳でしたから、世間一般から見れば大往生ということになるのかもしれません。国鉄で30数年間働き、そして定年後は悠々自適な生活を送ることができたのですから。でも本当は波乱に満ちた人生を乗り越えて生きてきたのだと、今になって初めて知ったような気がします。

僕が小さい頃のお父さんの印象と言えば、気が短くて、いつも難しい顔をしている。近寄りがたい存在でした。僕が幼稚園に通っている時分のある朝のこと。僕が幼稚園に行きたくないと駄々をこねていると、お父さんは、『いやなら行かんでいい!』と怒って、幼稚園の鞄を土間に投げつけたことがありました。
またある時は、夜遅くにも関わらず、熱のある僕をおぶって町の小児科医院まで連れてってくれました。自家用車などなかった時代です。今思うと右腕しかないお父さんが子供をおぶって行くというのは、たとえ1キロの距離でしかなくとも、さぞかし大変なことだったと思います。でも僕は、お父さんと一緒に外に出るのが嫌でした。それはお父さんがよそのお父さんと違って片腕しかないからでした。一緒に歩くのが恥ずかしかったのです。今思えば、なんと親不幸なことかと、自分自身が腹立たしく、そして情けない限りです。

お父さんと一緒に歩けるようになったのは、高校生になってからでした。その頃にはお父さんがどうして片腕になってしまったのか、ということが理解できるようになり、堂々と一緒に歩くことができるようになったのです。むしろ誇りに感じるようにもなりました。
お父さんは兵隊時代にインドネシアで負傷したのでしたね。しかも、それは日本が降伏した後に起きたインドネシア独立戦争に巻き込まれてのことですから、さぞ悔しかったでしょう。お父さんに戦争の話を聞いても、あまり喋りたがらなかったのは、このような戦時中の嫌な思い出があったからかもしれませんね。

お父さんの孫たち3人も大学や短大を卒業し、今は社会人となりました。
今になり、お父さんの気持ちがわかるようになりました。
『ごめんなさい』、そして『ありがとう』

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

木, 2月 7 2013 » 「今は亡きあの人に伝えたい言葉」より

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