家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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7月30日金曜日 オットー・フォン・ビスマルク

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

 

本日のテーマは、「今日のご冥福」。

歴史上の人物で本日のご命日の方を偲び功績をご紹介します。

 

オットー・フォン・ビスマルク(181541 – 1898730日)

 

ビスマルクはプロイセン王ヴィルヘルム1世に仕え、ドイツ統一のため鉄血政策をすすめ鉄血宰相との異名をもちます。

 


1815
41日、ベルリン北西のシェーンハウゼンのユンカー(貴族)の家に生まれ、大学で法律を学び、国家の法律行政に関わる官吏をしたのち、陸軍に志願しました。

父の死後、ビスマルク家の家督を継いで農場の経営に従事していましたが、1849年にプロイセン国会の下院議員に当選し政治活動を始めました。ロシア公使やフランス大使を歴任するなどの外交経験から国際政治感覚を身に付け、国王の信任を得て、1862年プロイセン王国の首相に任命されました。

 


この時、「今必要なものは、鉄と血である」と兵器と兵隊の軍備増強を議会に認めさせ、これ以後「鉄血宰相」と呼ばれるようになりました。

 


また鉄血政策を大きく進める一方で、良好関係を作る外交にも努め、イタリア、ロシア、オーストリアと同盟を結びます。それを背景にデンマークに戦争を仕掛け勝利し領地を奪いました。そして、次にはデンマークから奪った領地を巡りオーストリアと対立すると、入念な準備のもとオーストリアに戦争を仕掛けわずか7週間で勝利し、ドイツ連邦の主導権をオーストリアからプロイセンに移すことに成功させました。ビスマルクは普墺戦争の勝利の後フランスとも戦いフランス帝政を崩壊させ、ドイツ統一への歩を進めました。そして18711月、ヴェルサイユ宮殿においてプロイセン王ヴィルヘルム1世を初代ドイツ皇帝に即位させ、ドイツ帝国の成立が宣言されました。

 


しかし、1888年、ビスマルクが長年仕えたヴィルヘルム1世が死去すると、ヴィルヘルム2世が跡を継ぎましたがビスマルクとたびたび衝突し、1890年解任されてしまいます。
その後、ハンブルク近郊のフリードリヒスルーに引退し、1898730日にこの世を去りました。

 


伊藤博文や大久保利通をはじめとする明治の政治家にも深く影響をあたえ、明治憲法制定の際にプロイセンの憲法を真似たことは有名です。
「賢者は歴史か
ら学び愚者は経験からしか学ばない。」などの数々の名言も遺しています。

 

次回のテーマは、最期の言葉です。


家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

金, 7月 30 2010 » 今日のご冥福

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