家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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8月20日 豊臣秀次

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

 

本日のテーマは、「今日のご冥福」。

歴史上の人物で本日のご命日の方を偲び功績をご紹介します。

 

豊臣秀次1568-1595820日)


豊臣秀吉の姉・日秀(にっしゅう)の子である豊臣秀次。

 

永禄11年(1568年)、豊臣秀吉の姉・ともと木下弥助の長男として生まれました。

織田信長の浅井攻めに際して宮部継潤に養子として送り込まれ、浅井攻略後は四国に対する影響力を強めるため、阿波の有力者である三好康長に養子として送り込まれ三好信吉と名乗りました。

 

本能寺の変の後、秀吉に重用され賤ヶ岳の戦いに参戦して武功を挙げます。

その後は紀伊雑賀、四国を攻略し軍功を挙げたことにより、近江国に43万石を与えられ、天正18年(1590年)には小田原攻めにも参加し、ついには尾張国・伊勢国北部などに100万石の大領を与えられました。

 

そして、天正19年(1591年)8月に秀吉の嫡男・鶴松が死去したため、11月に秀吉の養子となり、その翌月には秀吉の後継者として、豊臣姓を贈られ、関白職を譲られました。

 

しかし、2年後の文禄2年(1593年)、秀吉に実子の秀頼が生まれると、秀吉から冷遇されるようになります。そして、文禄4年(1595年)、秀吉の命令で高野山に追放された後、切腹を命じられ青巌寺・柳の間にて生涯に幕をとじました。享年28歳でした。

 

次回のテーマは、最期の言葉です。


家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

 

金, 8月 20 2010 » 今日のご冥福

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