家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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3月12日金曜日 水野忠邦

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、
家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

 

本日のテーマは、「今日のご冥福」。


歴史上の人物で本日のご命日の方を偲び功績をご紹介します。

 

水野忠邦

1794年(寛政6年)719 1851年(嘉永4年)312日)

 

 「老中・水野忠邦」という響きで覚えていらっしゃる方も多いかと思います。江戸の三大改革の最後「天保の改革」を行った人物として知られています。

 父親は唐津藩主の水野忠光(ただあきら)で次男として生まれましたが、長男が夭逝したため、後継ぎになり、やがて唐津藩主となりました。

 出世願望の強い忠邦は、幕閣への出世を求め、唐津から石高が低い浜松へあえて転封しました。そして、自ら「青雲の要所」と称した大坂城代への昇進を足がかりに、1839年ついに12代将軍徳川家慶のときの老中に上りつめました。

 しかし、1841年からの天保の改革では、政策と現実の乖離が大きく、人返し令、株仲間の解散、上知令(あげちれい)を断行しようとして反発を買い失脚しました。また、あまりに過激な改革であったため、庶民からの怨みを買い、失脚した際には暴徒化した江戸町民に家を襲撃されています。のちに老中に復帰しますが、在職中の賄賂問題で隠居・蟄居となり、失意のうちに没しました。

 享年56歳でした。

 

 

次回のテーマは、最期の言葉です。

 

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。


 

金, 3月 12 2010 » 今日のご冥福

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