家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月8日 日本墳墓史5

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

高松塚古墳

この時期には、巨石を用いた豪放な石室、あるいは精微な石室が登場した。その典型が1972年発掘された高松塚古墳である。墳頂に1本の松があったので高松塚とよばれる。この古墳は7世紀末から8世紀初頭のものとされ、漆喰塗りの四壁には玄武・朱雀・白虎・青竜といつた四神、近侍の男女が描かれ、天井には星宿、東西両壁に日月が描写されている。この墓室内には、貴人ただ一人が埋葬されている。時には夫婦合葬墓もあるが、その場合は高位の女性として夫の墓に同伴されたものである。一方、壁画に飾られた墓室に関連して、丁寧な作りの棺が作られ、前例のない玉枕、あるいは随唐からもたらされた鏡などの副葬品が現れる。さらに死者の「伝」や時にはしのびごとを記した墓誌がこの時期に生まれた。

日本での基誌は、中国からの影響で、7世紀の後半から8世紀の後半の頃に行われた。はじめ土葬墓に採用されたが、その後、火葬の流行にともない、火葬墓にも取り入れられ、火葬墓特有のようになつた。しかも、火葬墓の場合は、火葬骨を納めた銅製椀に直接刻されたものも発達した。もつともこれらが、8世紀の初頭にのみ限定されているのである。墓誌銘には、これら銅製骨壷に直接刻されたもののほか、長方形または短冊状の細長い青銅・金銅・銀製のものがある。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

火, 11月 8 2011 » 日本墳墓史

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