家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月9日 日本墳墓史6

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

火葬の影響

『続日本紀』に、入唐僧である道昭が西暦700年、死に際して火葬を遺言し、弟子が粟原寺で荼毘に付し粉にして散骨した事を述べ、「天下の火葬ここに始まる」と記している。道昭の火葬以後、仏教の普及と平行して、火葬が天皇をはじめ貴紳の間に急速に普及していった。それにともない、それまでの横穴式石墳や石棺墓は姿を消し、代わって、骨櫃、骨壷、骨袋に火葬骨を納める新しい墓制が登場してくるのである。

『古事記』を筆録した太朝臣安万呂(723没)の墓と墓誌が話題となつたことがある。墓誌は火葬した骨を納めた木櫃の下の、木炭を敷いた上に裏向けに置かれていた。なお遺骨と一緒に4粒の真珠が見つかっている。この真珠は冥界に輝く珠であり、4は冥数といわれる。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

水, 11月 9 2011 » 日本墳墓史

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