家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月10日 日本墳墓史7

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

庶民の葬送の地

すでに奈良時代(710~784)から、首都の内部に墓を造ることは法律で禁止されており、平城京内からは当時の墓は一つも発見されていない。平安京でもこの方針は貫かれており、天皇・貴族の墓はいずれも郊外に造られていた。では一般庶民の墓はどうだつたか。『三代実録』861年の条に、百姓葬送・放牧地に5箇所が定められていることが記されている。また『梧庵漫記』に京の周辺の山野・河原が、彼ら庶民の葬られる場であつた。京の西北のあだし野、舟岡、東南の鳥部山、鳥部野一帯が、すでに平安時代からの葬場だつたのである。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

木, 11月 10 2011 » 日本墳墓史

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