家族葬専門葬儀社オフィスシオン しきたりアカデミー

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11月14日 日本墳墓史9

「オフィスシオンFMしきたりアカデミー」では、家族葬専門葬儀社オフィスシオンが、しきたりや、葬にまつわる慣習やマナーをご紹介いたします。

今回のシリーズは、「日本墳墓史」

最近「自由葬」であるとか「個人墓」など、お墓が話題になることも増えてきましたが、長い歴史の中でどのように墓が移り変わってきたのか、日本墳墓史と題して、墓の歴史をたどってみます。

高野納骨の流行

1085年、性信法親王が崩御、遺骨を高野山に納め、墓の上に阿弥陀堂を建て、念仏僧を置く。1108年、堀河天皇の遺髪を高野山に納める。このように12世紀に入ると弘法大師入定の地ー高野山に、火葬骨や遺髪を納める高野納骨がさかんとなる。仁平3年(1153)に死去した覚法法親王の場合には、嵯峨野御所から遺骨を西林に移して火葬し、法橋寛深が御骨を頚にかけてただちに高野山に登り、その地で殯葬したと、『兵範記』は記している。弥勒の浄土としての高野山へ納骨することは、末法の時代の天皇や貴族の願いだったのである。また高野山納骨を鼓舞し、それを全国に広めた高野聖の力もあった。

聖地納骨の風潮は高野山をこえて各地に拡散していった。『兵範記』の1167年には「地中に納骨しその上に五輪石塔」を立てる」という記事がある。こうした五輪塔を用いた納骨は、中世納骨慣行の端緒として、やがて鎌倉・室町時代を通じて諸寺でおびただしく見られるようになる。

家族葬専門葬儀社オフィスシオンがお送りいたしました。

月, 11月 14 2011 » 日本墳墓史

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